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傑作建築物30選

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ビクトリア州立図書館 State Library of Victoria

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2012年1月29日(日)
ビクトリア州立図書館 
State Libraly of Victoria
スワンストン通り Swanston Street
メルボルン Melbourne
この場所の地図Google Map

ビクトリア州の叡智の中心は、ビクトリア州立図書館。オーストラリア中の新聞、雑誌が揃っている。街の本屋で買えない種類の雑誌も多く、調べ物をするのに最適である。歴史なども詳しく調べた。

撮影データ Canon EOS 30D 絞り優先AE 評価測光 絞り7.1 1/800秒 ISO感度 200 露出補正 オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2007年11月



ST11


ST21 レドモンドバリー(Sir Redmond Barry)の銅像
州立図書館は、スワンストン通りSwanston Street、ラトローブ通り、ラッセル通り(Russell Street)、リトルロンズデール通り(Little Lonsdale)の4つの通りに囲まれている。
即ち東西南北1ブロックに渡る。これをホドルグリッド(Hoddle Grid)と云う。
ビクトリア植民地は、1851年に出来たが、、この州立図書館はそれから5年後の1856年に建設された。
当時、メルボルンはゴールドラッシュに沸いており、市民に文化と教養を与えるために設立された。
ビクトリア植民地政府により建設され、一般市民に無料で開放されるという当時としては新しい考え方を取り入れた画期的なシステム。
近代図書館としては、世界でも最も古い図書館のひとつ。

ST23 ビクトリア植民地 初代総督チャールズラトローブの銅像
州立図書館の庭園内には、たくさんの銅像が立っている。
Sir Redmond Barry: デザイン James Gillbert 塑像製作 Percival Ball (1887年)
セントGeorgeとドラゴン:Sir Joseph Edgar Booehm (1889年)
ジャンヌダルク (Jeanne d'Arc):Emmanuel Fremiet (1907年)
チャールズラトローブ:Peter Corlett (2006年)

ST25 

建築年:1854年   図書館のオープン:1856年
中央ドーム(1913年 設計 Norman G Peebles・・・ジョセフリードの後継者の会社) 
場所:スワンストン通りSwanston Streetとラトローブ通りLa Trobe Streetの交差点
地図: Google Map
設計:ジョセフリード Joseph Reed
建築時代:ビクトリアン Victorian
建築様式:クラシカル Classical
登録:ビクトリア州遺産 Victorian Heritage Register 
VHR Number H1497

ST28 

図書館は、1856年にオープン。
蔵書数は、3800冊。初代の図書館長は、AUGUSTUS HENRY TULK。図書館前の芝生は、当初は簡易柵で囲まれていた。
1870年代には、鉄製のフェンスと門が設けられた。1939年にフェンスなどは取り払われて、一般に開放されるようになった。
150万冊の所蔵本には、キャプテンクックの自筆ノート、メルボルンの最初の定住者であるジョンバットマン(John Batman)、ジョンパスコフォークナー(John Pascoe Fowkner)の自筆日記などが含まれている。ゴールドラッシュによる急速な植民地政府の財政改善を背景に、1853年に初代ビクトリア植民地総督(Lieutenant Governor)チャールズラトローブ(Charles La Trobe)によって州立図書館の建設が決定された。コンペティション(建築競技会)が開かれ、メルボルンの天才建築家ジョセフリードが受賞し、その輝かしい経歴の第一歩を記録。

ST30 
1854年には、第二代目の総督チャールズホッサム(Sir Charles Hotham)が州立図書館、及びメルボルン大学(University of Melbourne)の礎石を置いている。レドモンドバリー(Sir Redmond Barry)は、アイルランド生まれの法律家。1939年にメルボルンに移民。最高裁の設立メンバーのひとりで、当時のメルボルンの上流階級の中の重要人物のひとり。レドモンドバリーは、図書館の重要性を認識していて、優れた公共図書館をメルボルンに設立したいという強い熱意を持っていた。1853年に初代総督チャールズラトローブは、図書館設立準備会の会長にレドモンドバリーを任命。レドモンドバリーは、すべての中の最高(best of everything)を集め、文化、科学、芸術を学習し、思索する殿堂(emporium)の建設を決意。レドモンドバリーのリーダーシップのもとで、建築競技会が開かれ、英国イングランド生まれの天才建築家ジョセフリードが受賞した。
オープン時に3800冊であった蔵書は、1861年には22,000冊、1865年には、38,000冊に達している。その後は、10年で倍増を続けた。

ST31
州立図書館の初代の図書館長は、AUGUSTUS HENRY TULK(1810−1873)。
Tulkは、英国イングランドに上流階級の家庭に生まれ、高等教育を受けて、ドイツに留学。
一般的な貴族階級として特に職業にはついていない。いわゆる紳士(Gentleman)。
健康上の理由で医者が温暖な地に住むように勧めたのをきっかけに、当時、ゴールドラッシュで有名であった豪州への移住を決意。
Guyonという名前の帆船を購入して1854年7月13日にメルボルンに上陸。金山で使うための機械や、資材を帆船に積み込んでいたが、数ヶ月のメルボルンの経験で、莫大な損害を出して、金鉱堀のビジネスは向かないと悟った。

ST50 
当時、メルボルンではゴールドラッシュにより莫大な資金が植民地政府に流れ込んでおり公共工事が盛んに行われていた。1851年にNSWから独立して、ビクトリア殖民が成立。
Tulkは、司書の職に応募し、1856年5月5日に、48人の応募者の中から選ばれた。給与は600ポンドという高級であった。
Tulkは、1873年に亡くなるまで図書館の運営に貢献した。

Mr A. H. Turk 豪州伝記事典  

ST52 ホドルグリッド(Hoddle Grid)
メルボルンシティの通りは、シティの都市計画監督官であったRobert Hoddleがメルボルン定住開始2年後の1837年に設計。
メルボルンの碁盤目状の区画をホドルグリッド(Hoddle Grid)と云う。
ホドルは、1794年にロンドンのウェストミンスターで生まれている。
1812年には陸軍工兵隊に入隊し、測量技師となった。
英国軍の海外派兵の為に、南アで勤務した後、1823年にシドニーに派遣。
そこで時のNSW州総督であったThomas Brisbane(ブリスベンの名前の由来)により、メルボルンに派遣された。その後、交代したバーク総裁(Richard Bourke)の命によりメルボルンの設計を始めた。
前任のロバートラッセル(Robert Russell )行政官(Surveyer)の仕事を引き継いだもの。
それぞれホドル通り、バーク通り、ラッセル通りに名を残している。

ST60
当時の距離の測り方は、チェーン(Chain)を巻尺代わりに使うやり方。1チェーンが20m。
メインの通りを1.5チェーン(30m)、小さな通りを0.5チェーンとした。
即ちフリンダース通り、バーク通りなどは幅が1.5チェーン。
リトルコリンズ通り、フリンダースレーンなどは、幅は、0.5チェーン。
主要な通りは、一般の人が通る道とし、小さな通りは、業者などの積み下ろし作業をする通りとして作った。物流と消費活動をはっきりと分ける近代的なプランだ。
メルボルンにリトル通り、レーン通りがある理由は、ホドルの先見性に寄るもの。
ロバートラッセルのプランをホドルがどの程度取り入れたのかは、議論がある。

ST71
更に1ブロックは、10チェーンスクエア。
201mx201m(1mは、建設誤差を読み見込んで設計に入れてある。)。
メルボルンシティの東西は、1マイル(1.61km)、南北は、半マイル(0.8km)となっている。
メルボルンのシティは、正確な南北に対しては28度の半時計回り方向に傾いている。
これはもちろんヤラ川に対して橋を直角に架けるため。
江戸の主要道路も隅田川に対して同様の設計をしてる。


ST75 
図書館中央部のドームは、中央閲覧室(La Trobe Reading Room)として1913年に完成し、オープン。
設計は、ノーマンピーブル(Norman G Peebles)。
最初の閲覧室は、1859年にオープンしたクイーンズ閲覧室(Queens Reading Room, 現Queens Hall)。

328 Swanston Street Melbourne, Victoria, 3000

 State Library of Victoria 公式Web
 
 Wikipedia

 Walking Melbourne   Forum(昔の写真集)

Joseph Reed:豪州伝記集 Wikipedea Walking Melbourne


ジャンヌダルク像 
フランスの首都パリのシャンゼリゼ大通りの一角にあるピラミッド広場にジャンヌダルクの金色に輝く騎馬像がある。
フランスの著名な彫刻家Emmanuel Fremietの作品(パリ)の作品。
ビクトリア州立博物館に所蔵されているのは、そのレプリカで、1907年に設置された。
このジャンヌダルク像の姉妹作は、アメリカフィラデルフィアにもある。

ジャンヌダルクは、自由への戦いの象徴。


ST71 参考資料


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