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カンタベリークラブホテル Canterbury Club Hotel Canterbury Mansions

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カンタベリートップ

メルボルン建築史1880-89

 メルボルンの社会史 禁酒運動

2020年7月11日(土)  responsive版
カンタベリークラブホテル
Canterbury Club Hote メルボルン
現カンタベリー・マンション Canterbury Mansions
カンタベリー Canterbury
メルボルン Melbourne
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カンタベリークラブホテル Canterbury Club Hotelと付属する馬屋は、1889年に建設された。
カンタベリークラブホテルは、1880年代から1900年代初頭にメルボルンで流行したテンペランス運動(Temperance Movement)=禁酒運動の影響を強く受けたホテルであった。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 1/400 絞りF8.0 ISO感度 100 露出補正 太陽光 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L 2020年1月25日11:55 撮影:板屋雅博


 カンタベリークラブホテル Canterbury Club Hotel Canterbury Mansions
Former Canterbury Club Hotel
208 Canterbury Road,, CANTERBURY VIC 3126 - Property No B4908
1800年代後半のメルボルン郊外のホテルとして貴重な歴史遺産である。厨房棟と2階建て煉瓦作りの馬屋棟が付属している。共にホテル事業に重要な施設である。

VHD

カンタベリーwiki

 元来、メルボルンのホテルでは飲酒の場所であった。テンペランス運動の結果、1800年代後半にビクトリアのホテルの数は減少し始めた。また営業時間も大幅に減少し、1916年に夜6時に営業終了(six o'clock closing)ということになった。1920年の地方調査(Local Option Poll)によるとホテル減少は、頂点に達している。ホテル閉鎖は、ボックスヒル、キャンバーウェルでも起きていた。多くのホテルが閉鎖され解体される中で、カンタベリークラブホテルは、唯一、現存する貴重な存在である。

six o'clock closing wikipedia



 午後6時閉店政策(Six o'clock closing)は、公衆のモラル向上のためと戦時緊縮政策として第一次大戦中に最初に導入された。以前は、豪州のホテルとパブ(public houses)は午後11時または11時半に終了していた。最初の午後6時閉店は、1870年代から始まった禁酒テンペランス運動の一環で1900年代に広まった。最初は、酒販売の制限であったが、その後全面的な禁酒運動となった。午後6時閉店政策は、西豪州で1897年に法律となった。中心となったのは女性クリスチャン禁酒連盟(Woman's Christian Temperance Union and the Rechabites.)であった。1916年には午後6時閉店法が南豪州、NSW、ビクトリア、タスマニア、1917年にNZにも導入された。西豪州は、午後9時を導入。クインズランドは、1923年に午後8時を導入した。

 午後6時閉店は、仕事帰りの男性を飲み屋に急行させ、出来るだけ多くの酒を飲むという悪習が始まった。出来るだけ多く飲み、6時前ギリギリに注文して、閉店するまで飲むという結果になった。たくさんの酒を飲むために新技術も導入された。ビールサーバーのタップからパイプを客席につないでテーブルでビールを供給始めた。バーテンダーを介さずにビールを大量に飲むためである。短時間で大量の酒を飲めるように店を改造した。バー、ビリヤード、サロンバーが廃止され、事務所に代わっていった。1937年にタスマニアでは午後10時となった。NSWでは1954に、ビクトリアでは1966年に、南豪州では1967年に午後10時になった。



 カンタベリーマンション
Canterbury Mansions
カンタベリークラブホテル 
Canterbury Club Hotel 
建築年:1889年
建築家:William Wolf
建築様式:イタリアン様式 Italianate style
角地中央に象徴的なタワーを配置している。

integra なくてはならない、不可欠{ふかけつ}の、欠くことのできない、肝要{かんよう}


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