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オールドコロニストホームズ Old Colonists Homes 初期植民者住宅群

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メルボルンの社会史

メルボルンの建築史 1870-79

2019年2月3日(日)
オールドコロニストホームズ 
初期植民者住宅群
Old Colonists Homes
20 RUSHALL CRESCENT Yarra City
フィッツロイノース FITZROY NORTH
メルボルン Melbourne
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初期植民者住宅群は、142戸の住宅と付属する建物群である。俳優、企業家、篤志家であるジョージ・コッピン(George Coppin: (1819-1906))が1870年に開発建築したもので、初期の植民者で恵まれない年配の人々の住宅として使用された。運営団体として老齢植民者協会が設立された。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 価測光 1/1250 F5.6 ISO感度 200 オート 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2019年1月13日11:05 板屋雅博撮影

OLD COLONISTS HOMES (VHD)


隣接して建築されたコッピンが運営する老齢俳優協会(2戸:Old Actors Association)の2戸の住宅は、1906年に老齢植民者協会によって吸収された。老齢植民者協会は、ビクトリアの初期植民者の成果を記録し称賛すると云われている。老齢の植民者をサポートし、ヨーロッパ人家系でビクトリアに生まれた人々を手助けする目的であった。当初、 初期植民者住宅の入居者は、1851年つまりゴールドラッシュ以前にビクトリアに移民した人々に限定された。

同協会が建てたふたつの家屋を除いて、全ての家屋は、著名なビクトリアの富裕層市民の寄付による基金で建設された。それぞれの家屋には寄付者の名前と日付が刻まれた礎石が置かれた。初期植民者住宅群は、美しい庭園に囲まれており、1870年代から現在まで家屋の建設は続いている。初期植民者住宅群は、当初の目的に沿って老齢植民者協会が運営を続けている。建物群は、19世紀の老齢者用慈善住宅の典型的なモデルとして存在している。



 初期植民者住宅群は、社会慈善家たちの福祉施設建設が重要な役割を担った重要な例である。この時代、植民地政府は福祉分野への貢献はほとんどなかった。米国、英国など同様の社会慈善家の事業の影響もある。ユニークなレイアウトは、19世紀の英国での老齢の貧困者に対する住宅供給の事例に影響されている。英国イングランドのブリストル郊外にあるブレイズ・ハムレット(Blaise Hamlet)老齢者慈善住宅村は、1810年に建築家のJohn NashとGeorge Reptonが設計したもので、十分な類似性がある。初期植民者住宅群の中のラスホールパーク(Rushall Park)の住宅はブレイズ・ハムレットと同様に設計にバラエティを持たせ、各住宅の庭園にも気を配っている。英国には私立貧民救済ハウス(almshouses)の伝統があり、イングランドのサルタイア(Saltaire)とバーンビル(Bourneville)の慈善事業町のユートピアモデルや米国リバーサイドの慈善事業村とも類似性がある。


 初期植民者住宅群は、ジョージコッピンによって設立された。コッピンは、俳優、劇場事業化、投資家であったが、成功して篤志社会奉仕家でもあった。1843年に英国からシドニーに到着した。コッピンは、数多くの慈善団体を設立した。老齢植民者協会( Old Colonists' Association)、豪州俳優音楽協会(Australian Dramatic and Musical Associations)、ビクトリア人道慈善協会(Victorian Humane Society)、ビクトリア・セントジョン救急車(St John's Ambulance in Victoria)。
初期植民者住宅群は、コッピンが寄付して建築されたブルーストーン製住宅を含み、コッピンの慈善奉仕家としての活動を証明するものであり、コッピンが初期植民者たちの開拓努力に報いようとするコッピンの決意を表している。



 コッピン以外にも多くの著名なビクトリアの富裕層も寄付を行って初期植民者住宅群の建設に寄与している。老齢植民者協会は、ゴールドラッシュ期以前の植民者たちの存在や重要性を強調し、新しい時代も記録する。住宅群は、初期植民者の努力を現実に物語っている。初期植民者住宅群は、建築後140年以上に渡り、建築が続けられており、建築様式、材料の変遷を辿ることが出来る。ビクトリアの画趣に富む素晴らしい様式や独特のモチーフを楽しむことが出来る。ビクトリア又は豪州にある同様の慈善住宅の中で、最大規模であり、最も建築当時の様式を残したものである。小さな規模では、ジーロンのオースチン住宅群(Austin Cottages in Geelong)やセントキルダロードにあるユダヤ人のモンテフォアホームズ( Jewish Montefiore Homes)がある。



 初期植民者住宅群には多くの著名なビクトリアの建築家が関わっている。最初の石材作り住宅は、ジョージジョンソン(George Johnson)が設計している。ジョンソンは、カールトンのロイヤル展示会場付属ビルなど19世紀後半のメルボルンや他の豪州都市で建築物や劇場、オペラハウスに於いて多数の作品を残している。ジョセフ・クローク(Joseph Crook)は、プラーン、ウィンザー、セントキルダ、マルバンで数多くの作品を設計しているが、植民者住宅群では、ジュビリー住宅(Jubilee Cottages)、サマーホール(Sumner Hall)、介護人用住宅、その他の多くの建物を設計した。 ジョージ・ワートン(George Wharton)やジェームズ・ウッド( James Wood)なども設計している。

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