1803年、NSW植民地(首都シドニー)の調査探検副長官であったチャールズグリム提督はポートフィリップ地区(現在のメルボルン)の調査探検をNSW植民地総督によって命ぜられた。副官チャールズロビン(
Charles Robbins)の指揮のもと、スクーナー型帆船カンバーランド(Cumberland)に騎乗して1803年1月20日にメルボルンの湾であるポートフィリップ湾に入った。
1803年2月1日は、メルボルンの海岸であるポートメルボルンの海岸線一帯を調査。1803年2月2日にヤラ川の河口を発見。当時のヤラ川は、自然のままの小さな川で、周辺は芦などに覆われた湿地帯であった。2月3日には自らを隊長とする数名の調査体を編成し、小型手漕ぎボートで、ヤラ川をさかのぼり、現在のビクトリアパーク駅(Victoria
Park Station)から北東へ数Kmほど行った場所にあるデイツフォールズ滝(Dights Falls)まで到達している。
滝の上流250mの東側に「ヤラ川を発見した最初の西欧人は1803年2月8日にヤラ滝に到達した。」と記された碑が立っている。
チャールズグリム船長の探検の後は、1835年のタスマニアからの西欧人の移民開始まで、この地を訪れる西欧人はいなかった。1836年にはシドニーから陸路で牛を連れながら、John
Gardiner, Joseph Hawdon、Captain John Hepburnの3名のオーバーランダーがこの地で川を越えたという記録がある。John
Gardinerについてはメルボルン百景で数回紹介したが、リッチモンド、サウスヤラの大部分を所有した富豪になった。