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デイツ製粉所 Dights Mill

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アボッツフォード

 メルボルンの産業史

2018年4月4日(木)
デイツ製粉所 Dights Mill
ビクトリアパーク Victoria Park
アボッツボード  Abbotsford
メルボルン Melbourne
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デイツの滝のそばにたジョン・デイツが建設したデイツ製粉所は、ビクトリアの技術史、社会史の中で非常に重要で、電気も石炭エネルギーも無い時代に水力を動力として作られた近代工場であった。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 価測光 1/160 F5.0 ISO感度 100 オート 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2015年1月21日13:18 板屋雅博撮影

キャンベルタウンのジョン・デイツ(John Dight)が1838年11月7日にバーク地方(County of Bourke)のジカジカ区(Parish of Jika Jika)の第88区域を獲得した。数年をかけてデイツは、レンガ製ミル(小工場)をこの場所に建て、小麦粉の生産を始めた。1843年11月に土地の所有者は、ジョンデイツと弟のチャールズ・ヒルトンになった。1864年には、小麦粉工場の使用は停止されて、トーマスケニー(Thomas Kenny)に貸し出された。1870年代半ばにはこの場所は、特許許可爆発用火薬会社(Patent Safety Blasting Powder Co. )が使用した。1878年にデイツ家族は、工場の土地建物をエドウィン・トレネリー( Edwin Trennery)に売却した。トレネリーは、土地をいくつかに分割した。

最初の製粉工場はヤラ川の土手に1888年まで未入居のまま残っていた。製粉家のジレピー、アイトキン、スコットがヤラ滝粉砕式製粉所(Yarra Falls Roller Flour Mills)という名前で操業しながら、新しい工場と事務棟をこの場所に建設した。
新工場の水路は、同じ場所にデイツの古い工場で使われていたブルーストーンのブロックを使って再建された。新しい工場と事務棟は、デイツの最初の工場から少し離れた場所に建設された。この会社は1891年にジャムズ・ベル(Hon. James Bell)が経営するメルボルン製粉工場会社(Melbourne Flour Milling Company)に売却された。

 1890年にメルボルン企業法(founding Act)が成立しと首都工場監督局(Metropolitan Board of Works)が設立され、監督局は、ヤラ川の滝を堰きを建設維持する会社に免許を発行した。
1909年にメルボルン製粉工場会社は、アボッツフォードのヤラ川のそばの工場と敷地をジョンダーリング(John Darling)と息子会社に売却した。彼らは南オーストラリアの有名な製粉家であり、小麦商人であった。同社は、監督局に賃借権の延長を3ヶ月間だけ延長した。しかしその期間に工場で火事が発生し、工場の大半が焼けてしまった。残った工場は、その後20年間で解体された。メルボルン首都圏工場監督局がその後の20世紀の大半をこの敷地を所有管理した。残存物としては水路上部構造物、水路、タービンエンジンハウス、隔壁、水路堰である。


 デイツ製粉所跡は、メルボルンの最も初期の産業遺跡として貴重である。最初に建設された当時のこの場所の状況を未だに残している。水力を動力とした製粉所の跡地は、他の場所にもあるがデイツ製粉所跡ほど本格的なものはメルボルン首都圏では他にはない。ビクトリア州の製粉の歴史の中で最も初期のものである。デイツ製粉所のタービン(回転式原動機=水車)は、19世紀の産業遺跡、原始発動機として貴重なものである。
ヤラ川に設置された堰は、川の水を水車小屋へ導入するために設置された。ヤラ川の水位をコントロールする為に設置されたものだが、製粉所にとって欠かせない動力であった。ヤラ川が移住者に取って重要であったことがわかる。


 ヤラ滝粉砕式製粉所水車小屋と隣接した水路、水車は建設当時の姿を保っており、ビクトリアの技術史の中で重要で、1888年に導入された当時の最大の能力を持つ水車、水力パワーシステムであった。しかもバックアップシステムは無いというものであった。
二台の新アメリカ型複合水流水車(混流タービン)はビクトリアで最初のものとして記録されている。アメリカで1884年に開発されたばかりの最新型であった。
原則的には小麦粉砕機を作動させる為に直接駆動式機械システムとして設計されていたが、水車は二台の小型電気ライトニング式発電機につなぎこまれていた。ビクトリアで使用された最初の水力、電力複合プラントであった。

 VHD

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