キャンベルタウンのジョン・デイツ(John Dight)が1838年11月7日にバーク地方(County of Bourke)のジカジカ区(Parish
of Jika Jika)の第88区域を獲得した。数年をかけてデイツは、レンガ製ミル(小工場)をこの場所に建て、小麦粉の生産を始めた。1843年11月に土地の所有者は、ジョンデイツと弟のチャールズ・ヒルトンになった。1864年には、小麦粉工場の使用は停止されて、トーマスケニー(Thomas
Kenny)に貸し出された。1870年代半ばにはこの場所は、特許許可爆発用火薬会社(Patent Safety Blasting Powder
Co. )が使用した。1878年にデイツ家族は、工場の土地建物をエドウィン・トレネリー( Edwin Trennery)に売却した。トレネリーは、土地をいくつかに分割した。