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セントキルダタウンホール

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2008年10月27日(月)
セントキルダタウンホール
St Kilda Town Hall
バラクラーバ Balaclava
メルボルン Melbourne
この場所の地図Google Map(航空写真)

セントキルダタウンホールは、天才建築家ウィリアムピットの作品です。現在ではバラクラーバに属していています。

昨年の今日 2007年10月27日(コックス プレート

Canon EOS 40D シャッター速度 1/125 秒  絞り数値 F13 測光方式 評価測光ISO感度 100 画質圧縮率 RAW

今日の為替レート:1A$=58.74円

セントキルダのタウンホールは、バラクラーバの駅からセントキルダの中央部のアクランド通り(Acland Street)を結ぶカリスリー通り(Carlistle Street)とメルボルンの南部へ走る基幹通りであるネピアンハイウェイ(Nepian Highway)の交差点に立っています。現在のサバーブの区分から云うとバラクラーバに所属します。バラクラーバは、昔はセントキルダの一部でした。

メルボルン百景では地理的分類上、バラクラーバに所属させます。

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セントキルダが市(シティ)に昇格した際に、ポルチコの上部の文字は、かつてのタウンホールからシティホールに変更されています。

 セントキルダ タウンホール
建築年:1890年
建築期:ビクトリアン
建築様式:Academic Classical
設計、建築家:ウィリアムピット William Pitt

Walking Melbourne

セントキルダタウンホールは、メルボルンのNo1人気天才建築家のウィリアムピットの中期の作品です。1890年に完成しましたが、ピットのデザインは、サウスメルボルンタウンホールをイメージさせるような、フリークラシカル様式の装飾を施した高層の時計塔を含む壮麗で豪華なプランでした。しかしこの設計は、完成することはありませんでした。1890年代に入ってセントキルダは、労働者階級の流入と資産家階級の流出とで財政状態が急速に悪化していたからです。

サウスメルボルン タウンホール

 正面玄関のクラシカル様式のポルチコ(4本の円柱で支えられた屋根付きの玄関ポーチ部分)は、ウィリアムピットの設計ではなく、1925年に付け加えられたものです。
かつては地肌は、砂地化粧(Stone Finish)でしたが、現在は、真っ白に塗装されています。


左側は、カリスリー通り(Carlistle Street)です。
真っ直ぐ500mほど進むとバラクラーバの駅があります。

カリスリー通りを逆の南へ進むと800mほどでセントキルダの中心街やルナパークまで到達します。

 右側は、ネピアンハイウェイ(Nepian Highway)。

セントキルダタウンホールは、1960年代に火災にあって大部分を焼失しました。しかし大規模な補修工事を行って現在の姿を取り戻しています。

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