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アルバートパーク

プリンス・アルバート Prince Albert

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2018年11月23日(金)
プリンス・アルバート Prince Albert
日豪プレス2019 年1月号 No.30
アルバートパーク公園 Albert Park
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

アルバートパーク公園は、シティから真っ直ぐ南へ3kmほどの場所にあるメルボルン最大の公園で225ヘクタールの面積がある。1840年に英国ビクトリア女王が、いとこのアルバート公と結婚式を上げたことを記念して作られた。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/160 F10.0 ISO感度 100 太陽光 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM 2016年1月17日17:43 板屋雅博撮影


 公園周辺の5.3kmの公道を周回するF1グランプリは毎年3月に行われるが、世界で最も美しいF1レースコースと称賛されている。
F1グランプリは1996年からはそれまでの南豪州アデレードに代わってアルバートパークに会場が移動して行われるようになった。


 
 メルボルン初期の時代にはヤラ川河口デルタ地帯で大きな池や湖が点在する湿地帯であった。アルバート公園中心部にある巨大な湖は湿地帯のなごりである。原住民アボリジニは4万年ほど前から居住しており、アルバートパークは、アボリジニの部族であるウルンジェリ族の集合場所のひとつであった。
1835年に移民が始まり、ヤラ川の湿地帯は埋めたてや灌漑で農業地や住宅化が進められた。英国駐留軍の演習地としても使われたが、ラトローブ初代総督により公園予定地リザーブに指定され、1864年に正式に公園となった。広大な公園は、オーストラリアン・フットボール、テニス、ローンボーリング、クリケット、ボートなどの各種のスポーツの拠点として使われている。


  ドイツの小公国国王の二男王子のアルバート公は、知的な美男子で白い色が好きであった。オーストラリアやインドなど世界中に植民地を有した大英帝国君主として絶大な権力を誇ったビクトリア女王であったが、アルバート公を深く愛していた。ウェディングドレスをそれまでの伝統である金色を辞めて、アルバート公が好きな純白のウェディングドレスを選んだ。純白のウェディングドレスは、英国や米国で流行し、世界中に広まった。
1862年にアルバート公が42歳で若くして他界すると、絶望したビクトリア女王は、10年以上も黒い喪服を着用した。


 ビクトリア女王は、1837年に18歳で即位し、他界する1901年まで在位し、その間をビクトリア時代と呼ばれた。これはメルボルンに移民が始まる1835年から、オーストラリア連邦政府が成立してメルボルンが初代の首都になる1901年までのマーベラスメルボルンと呼ばれた時代とほぼ同じである。ビクトリア女王が若くして即位した際に首相であったのがメルボルン侯爵であった。メルボルン首相は、ビクトリア女王がアルバート公と結婚するまでの間、首相として信認された。その頃に出来た南太平洋植民地の新しい町の名前がメルボルンと名付けられた。ビクトリアの地、メルボルンにあるアルバートパークは深く愛し合った二人を記念する公園である。

 
Wikipedia  プリンスアルバート

F1メルボルンGP

ビクトリア女王のウェディングドレス

Queen Victoria  日本語

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