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2007年5月5日(土)18:00
ロイヤルエキジビジョンビルディング
Royal Exhibition Building
カールトンガーデン Carlton Garden
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

今日は多少の晴れ間はあったものの、だいたいは曇りの一日でした。今週一週間は安定しない気候です。ただ気温は、比較的あったかなので外出には問題ありません。

昨年の今日2006年5月4日

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 メルボルン芸術祭 毎年、この時期にロイヤル エキジビジョン ビルディングで行われています。

ロイヤルエキジビジョンビルディングは、メルボルンの北東部のカールトンガーデンの中に位置しています。1888年のメルボルン国際展示会の為に1880年に建設されました。ゴールドラッシュにより、世界で最も裕福な街の富を集中して作られました。この豪華な建築は当時のメルボルンの人々の進取の気質、欧州への回顧など多くの気持ちを読み取ることができます。
メルボルンの天才建築家ジョセフリード(Joseph Reed)の設計です。
この建物を印象づけている中央のドームは、イタリアフィレンチェのドォーモ(サンタマリアフィオーレ)をベースにしています。
1888年の国際展示会は、1787年の英国人の移民100周年を記念したものです。オーストラリアデーを参照。


1901年1月1日に豪州連邦(Commonwealth of Australia)が成立し、メルボルンが首都となりました。
豪州連邦の第一回国会は、この王立展示会場で開催されました。その後は、豪州連邦政府は、より事務効率が良い、ビクトリア州パーラメントハウスへ移動しました。逆にビクトリア州議会は、王立展示会場に移動しました。ところがその後、展示会場は、長い苦労の時代が訪れます。
メルボルンは、首都の座をシドニーと争い、結局1927年に新たに作った人工都市、キャンベラ(Canberra)が首都になります。そのころからメルボルンには長い不況の時代が訪れます。1940年代には、木造部分は腐食して部分的に崩壊を始めており、地元の人々からは白い象(The White Elephant)と呼ばれていました。1950年代には、事務所ビルに建て替えられようとしました。建物の一部は、メルボルン水族館が一時、入居していたこともあります。

 大宴会場(Grand Ball Room)は、一部の構造を残して、1979年についに取り壊しになってしまいました。展示会場全体でさえ取り壊しの計画がありましたが、市民の反対にあって中止となっています。1984年にエリザベスU世女王がメルボルンを訪問した際に、この展示会場に王立Royalのタイトルを与えました。
この一件により、展示会場の復旧が起こりました。1996年に当時のビクトリア州首相により、ロイヤル展示会場の隣の地にメルボルン州立博物館の建設が提案されました。
博物館建設反対運動の一環として、ロイヤル展示会場を世界遺産の申請を行いました。2004年にロイヤル展示会場は、カールトンガーデンと共に世界遺産(文化)に登録されました。ロイヤル展示会場は、豪州に於ける19世紀の建築物では唯一の主要な建築物として登録されています。また世界的にも19世紀の展示会場としては現存している数少ない建物です。


ロイヤル展示会場は、現在でも現役の展示会場として活躍しています。使用料さえ払えば、誰でも商用目的で使用することができる世界遺産はほとんどありません。
またロイヤル展示会場は、メルボルンのいくつかの大学や高校の入試会場としても使用されています。

公式Web

White Hat  Only Melbourne

Timber  パノラマ

豪州政府世界遺産 ロイヤル展示会場

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