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野生のウサギの話 The Rabbit

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2008年7月16日(水)
野生のウサギの話 The Rabbit
ブラッシュテールポッサム(Common Brushtail Possum)
カールトンガーデン Carlton Garden
メルボルン Melbourne
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今日のメルボルンも穏やかで温かな冬の一日でした。午前中は、素晴らしい快晴。午後からは多少、曇ってきました。

昨年の今日2007年7月16日(メルボルンセントラル

ポッサムは、豪州とNZ固有の有袋類の動物です。

メルボルン 動物百選 

 1788年最初の囚人移民団がシドニーのボタニー湾に到着して豪州の移民の歴史は始まりました。その際に、七頭の馬、七頭の牛、19頭のヤギ、29頭の羊、74頭の豚、5頭の家畜ウサギが記録されています。1400年代以降、ポルトガル、オランダ、イギリスなどが世界制覇へ乗り出しますが、その際、多くの家畜を世界中に広めました。
この中でもウサギは、イースターのウサギに代表されるよに多産系の動物として有名です。メルボルンのゴールドラッシュで沸く1850年代に野生ウサギの輸入が開始されました。英国ではうさぎ狩がジョントルマンのスポーツとして定着しており、ゴールドラッシュなどで資産的に余裕が出来たことが大きな原因です。
最初の本格的な野生ウサギの輸入は、メルボルン郊外のジーロンに住むトーマスオースチンです。1859年に30匹の野ウサギを輸入してバーワンパークに放しています。

 1860年代になると多くの農場主が野ウサギを牧場に放ち始めました。農場主の中には、人口繁殖場を作ったり、番人を置いたり、贈り物にしたりでたいへんなブームになっています。ウサギを殺した雇い人は解雇という事例もあります。郊外の牧場主にとってウサギ狩はスポーツとしてビクトリア州などに定着します。またウサギの肉は、上流階級の中でもてはやされました。1866年には、バーワンパークで1万頭を超えるウサギが射殺されています。ところが1868年には増えすぎたウサギが被害を与えるようになります。気付かない内にウサギが増え数百万頭の数にまで増えていました。トーマスオースチンは、100人を雇って200万匹を殺しています。1870年代から1880年代にかけてはビクトリア州から、NSW州、南豪州まで広がっています。この地域全体で数千万頭までウサギが増えたのです。

 1887年には、人口100万人のNSW州だけで1650万頭のウサギが駆除されました。ウサギの駆除に何万人もの人が参加しています。このころには、ウサギの肉は下層階級専用の肉になっています、メルボルンでも年間数百万頭の肉が入ってきて町にはウサギの肉を売る物売りがあふれました。1900年ころには、豪州から年間1000万頭のウサギの肉が輸出されています。駆除のためにテン、イタチなどの天敵の導入が図られました。同じ被害に苦しむニュージーランドはテンを大量に輸入しましたが、テンがNZの動物や農作物を食い荒らし、ウサギ以上の被害が出ています。毒薬も多く試されました。しかし広範囲な環境破壊や他の動物を殺す被害を引き起こしただけで効果はほとんどありませんでした。最大の問題点は99%を殺しても残りの1%で3年間で元の数字に戻るという点でした。その後も大きな被害をオーストラリアへ与え続けました

 結局、このウサギの被害が収まったのは、ウサギ特有の病気によります。1931年にミクサマトウシスという病気を持ったウサギが発見されました。これに感染したウサギは次々を死んでいきました。死亡率はぼぼ100%です。
しかしこの病気も特効薬ではなく1988年には南豪州で8000万頭のウサギが記録されています。現在もまだウサギの被害は続いています。


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