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カールトンガーデントップ

南西側の池 

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2009年9月13日(日)
南西側の池
カールトンガーデン Carlton Garden
メルボルン Melbourne
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今日のメルボルンは、曇り。気温は、18度ほどと少し肌寒い天候。

昨年の今日 2008年9月13日(時計塔の夕景

Canon EOS 5D MarkU1/100秒 絞り優先AE 絞りF9.0 評価測光 ISO感度 100 AWB 画質圧縮率 JPG
レンズ EF27-70mm f/2.8 IS USM

 カールトンガーデンとロイヤルエキジビジョンビルディングは、ビクトリア州では唯一のユネスコ世界遺産に登録されている。
フィッツロイガーデン、ロイヤルボタニックガーデンと並んで非常にゆきとどいた手入れを施されている。

メルボルンを取り巻く庭園は、メルボルンが出来たばかりの1839年にビクトリア植民地初代ラトローブ総督によって、公園用地として確保された。

1856年にメルボルン市が管理することになり、エドワード・ラトローブ・ベイトマン(Edward La Trobe Bateman)に公園の設計を依頼した。
しかし公園施工の予算が限られていたために、十分な設計が出来ずに、不十分なままに残された。

 1870年代に、ビクトリア植民地政府は、再度、公園の改修を開始し、公園設計家のクレモント・ホッジキンソン(Clemont Hodgkinson)が担当した。

1880年のメルボルン万国博覧会の際に、設計科のジョセフリード(Joseph Reed)によって大規模に改修が実施された。
改修の施工は、メルボルンの著名な園芸家ウィリアム・サングスター(William Sangster)が受注している。

カールトンガーデンの基本的なデザインは、この頃に出来あがった。

 クレモント・ホッジキンソンが設計、施工、改修した主な公園。
1857年 セントビンセント公園(St Vincent Gardens)の設計。
1860年に、クレモント・ホッジキンソンは、ビクトリア植民地の公園責任者となっている。また後年、ホッジキンソンは、植民地の領土管理責任者(Surveyer General)になっている。
1862年 フラッグスタッフガーデン、フィッツロイガーデン。
1865年 ノースフィッツロイのエジンバラガーデン(Edinburgh Gardens)。
1867年 トレジャリーガーデン(Treasury Gardens)。
1867年セントキルダのアルマパーク(Alma Park)。
メルボルンから南西168kmにあるマリーボロー(Maryborough)のプリンセスパーク(Princes Park)。

 ダンデノンのオリンダ(Olinda)の街の名前は、クレモント・ホッジキンソンの娘、Alice Olinda Hodgkinsonに由来している。


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