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2007年2月25日(日) (今日の一枚へ戻る
フラッグスタッフ公園 Flagstaff Gardens
Melway 2B−A13
メルボルン Melbourne

ガーデンシティと言われるほど公園が多いメルボルンですが、シティ(CBD)の中には、本格的な公園は、このフラッグスタッフ公園だけです。ウイリアム通り(William)、ラトローブ通り(La Trobe)、キング通り(King)、ダッドレー通り(Dudley)に囲まれたこの公園の周りにはメルボルンシティ北西部の大企業や、官公庁が集中するビジネス街です。お昼休みにはたくさんのビジネスマン、OLが休憩にやってきます。また地下を走る都電の駅もあります。東北角からはビクトリアマーケットにつながります。
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フラッグスタッフ公園は、1862年にメルボルンで最初に出来た公園です。西北角には、テニスコート、ローンボーリング、スポーツ施設や花壇があり、ノースメルボルン、ウェストメルボルン地区の人々の憩いの場所になっています。無料BBQ設備ももちろん設置してあります。
1835年にメルボルンが設立しましたが、当時の埋葬場所は、メルボルン市内とフィリップ湾が見渡せるこのフラッグスタッフガーデンの場所にありました。当時のこの場所の名前は、埋葬の丘(Burial Hill)でした。その後、メルボルンで最初の墓地は、ビクトリアマーケットの場所に作られました。1839年に監督官(後の初代ビクトリア州総督)チャールズラトローブ(Charles La Trobe)によってメルボルンシティの周辺部の公園化計画が作成されました。カールトンガーデン、フィッツロイガーデン、キングスドメイン、財務省公園などです。


1840年に外航船がフィリップベイに入港したことを連絡する旗ざお(Flagstaff)システムが採用されました。航空機、電信などの通信、輸送手段がまったく無い当時は、英国本国などからやってくる外航帆船が唯一の生命線だったのです。外航船の入港を知ると、サンドリッジの海岸に旗が高揚されます。その旗信号をこの場所で中継したのです。当時、この場所は、メルボルン中から見渡せたので、市民が、外航船の入港を知ることが出来たのです。旗ざおの高さは、15mありました。1850年のビクトリア植民地の、NSW植民地からの分離独立の際には、ほとんどのメルボルンっ子がこの地に集まり、独立を祝いました。1857年には最初の気象台がここに設置されました。1860年代には、無線通信が主役になり、旗ざおリレー通信方式の役目は終わり、1862年に公園として整備が開始されました。

 この公園には、メルボルン名物の小動物、ポッサムがたくさん生息しています。この周辺はメルボルンでも最も中心地と言える場所ですが、これだけ整った公園があり、花壇と動物たちに囲まれているのもメルボルンの魅力です。
ウィリアム通りとラトローブ通りの交差点の反対側には、旧英国造幣局メルボルン支店(Royal Mint)があります。
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