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建築史1950年代

メルボルンパーク

Melbourne Sports and Entertainment Centre

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2017年5月20日(土)
メルボルン・オリンピックプール
Melbourne Sports and Entertainment Centre (MSEC)、グラスハウス(Glasshouse)
メルボルンパーク Melbourne Park
メルボルン Melbourne
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メルボルン・オリンピックプールは、1956年のオリンピック大会の際に水泳場として作られた。現在、同オリンピックで現存する唯一の施設である。ホールデンセンターの名前でAFLコリンウッドのトレーニングセンターとなっている。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先優先AE 評価測光 絞り 10.0 1/1250秒 ISO感度400 露出補正 太陽光 JPG レンズ EF 70-200mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2015年1月21日 17:53


  MSECは、1956年メルボルンオリンピック大会の水泳場として同年にオープンした。オリンピック国際大会用プールは、木製フロアに変更され1998年までバスケットボール試合用スタディアムとなった。
ナショナルバスケットボールリーグのフランチャイズとなった。ノースメルボルン・ジャイアンツ、メルボルンタイガースである。
また1984年からロッドレーバーアリーナが出来る1998年までインドアコンサートホール



  
 この建物の設計は、1956年メルボルンオリンピック大会のスタディアム建設設計の為に、1952年に実施された3回の国際設計コンペの3人の優勝者のひとりであった。その1つに優勝したチームである建築家の Kevin Borla,、Peter Mcintyre、John Murphy、Phyllis Murphyと構造技術者Bill Irwinが設計を任された。1954年10月に建設が始まり、1956年に完成した。
当時のメルボルン最大の建設会社であったマクドガル&アイルランド社(McDougall & Ireland)が1954年10月に建設開始して、1956年メルボルン大会が始まる直前に完成した。

メルボルンオリンピックでは水泳場は中心的なゲームであった。メルボルンオリンピック水泳場は、ポスト大戦期におけるオーストラリアでの構造主義建築のランドマークと言える建築物である。

  
 1956年メルボルン・オリンピック大会当時の最初の名前はスイミング&ダイビングスタディアムであった。屋内水泳センターとして、高飛び込み、水泳、水球、近代五種競技(射撃、フェンシング、主絵う、馬術、ランニング)で使用された。それまでのオリンピック大会では屋外プールも使用されたが、メルボルン大会のMSECは、オリンピック大会で使用された初めて完全な屋内水泳場であった。またMSECは、MCGのオリンピックスタンドが解体されたので、メルボルン大会の競技施設で現在まで当時の姿を残している唯一の競技施設であり、ビクトリア州遺産に指定されて家う。


  
 スイミング&ダイビングスタディアム(Swimming and Diving Stadium) 
建築年:1954年〜1956年
設計:Kevin Borla,、Peter Mcintyre、John Murphy、Phyllis Murphy
構造技術者:Bill Irwin
建築様式:構造主義建築 Structuralist architecture
プレストレス鋼材骨格を使用した初期の事例
建築請負:McDougall & Ireland
建築用途:1956年メルボルンオリンピック大会 水泳場

  
 MSECの名前は何度も変化している。
スイミング&ダイビングスタディアム(Swimming and Diving Stadium):1956年
オリンピック・スイミング・スタディアム Olympic Swimming Stadium (1957-83)
Melbourne Sports and Entertainment Centre(1983-98)
レクサス・センター(トヨタレクサス)Lexus Centre (2004-10)
ウェストパック・センター(2010-15)
ホールデン・センター
非公式にはグラスハウスとも呼ばれた。

現在は、一部はAFLコリンウッドのトレーニングセンター(2003-present)として使用されている。

  
 メルボルンパークは、スポーツとエンターテイメント施設のこの一帯を示す。MSEC、全豪オープン会場のロッドレーバーアリーナ、サッカーラグビー場であるAAMIパークなどを含む。MCGがあるやらパークは含まない。もともとフリンダースパークと呼ばれていたが、1996年に当時の州知事ジェフケネット(Jeff Kennett)が変更を決定した。これは全豪オープンの会場を示す地名として、全仏オープンのパリパーク(Paris Park)や全英オープンのウィンブルドンに比肩する地名とすることや、メルボルンの名前を世界に広めたい思いがあった。




  
 日本車レクサス(Lexas)が2004年に命名権を買ってレクサスセンターとした。内部はビクトリアスポーツ連盟とコリンウッド・フットボールクラブが事務所とトレーニングセンターとして使用を始めた。
2010年にウェストパック銀行が命名権を買って、ウェストパックセンターと名前を変えた。2015年にホールデン自動車がコリンウッドクラブのプレミアパートナーとなり命名権を買い、現在はホールデンセンターとなっている。


メルボルンオリンピックプール

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