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メルボルン歴史散歩 No 13 フラッグスタッフガーデン

2009年4月4日

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メルボルン歴史散歩の第13回目は、フラッグスタッフガーデン(Flagstaff Gardens)の話だ。

前回の話のチャールズラトローブ総督がメルボルンに赴任する数年前の1836年、1837年に時間を戻す。

スラッグスタッフガーデンは、メルボルンの市内の西北部に位置しており、市内(CBD)唯一の大型公園であり、メルボルンに数ある公園の中でも最も古い歴史を持っている。
メルボルンの歴史の中で果たした重要性は、他の公園とはまったく違う。

定住が始まって2年目の1836年のメルボルンの人口は、男性186名、女性38名、合計224名である。
そのうち、新教徒(プロテスタント)は、210名、カトリック教徒は14名であった。(1836年11月の行政官James Dwnerの調査)
ヤラ川周辺に掘っ立て小屋やテントを地面に張って生活しているという原始的な状態であった。
この年、最初の陸路でのシドニーからの移民者があった。
後にサウスヤラ、マルバーン、リッチモンドなどの広大な地区を所有するJohn Gardinerと仲間たちが、300頭の牛を引き連れてやってきている。


(フラッグスタッフガーデンは、都心にある唯一の本格的な公園である。正面は、ウィリアム通り。)

1837年には、ビクトリア(当時は、ポートフィリップ)は、ロンズデール行政官が前年に赴任して行政が落ち着いてきたこともあり、740名の移民があった。
その結果、メルボルンの人口は、男性が984名、女性が280名、合計1,264名となっている。

郵便事業も始り、2000通ほどが取り扱われている。
この年、フリンダース通り、コリンズ通り、スワンストン通り、エリザベス通り、バーク通り、ロンズデール通りなどの市内(CBD)の土地の最初の売り出しが行われた。
1区画の値段は、英国の5ポンド。1年以内に家を建てることが条件であり、1軒の建築費は、50ポンドほどである
簡単な構造の家であり、現在では500万円の建築費と推定した場合は、1ポンド=10万円と考えることができる。(現在の英国1ポンド=150円)
市内の土地一区画が50万円ほどで購入できた計算になる。

最初の石作りの建物がクイーン通りとコリンズ通りの交差点に資産家の家として建築されている。


(左側は、ラトローブ通り。正面奥には、キング通りがある。)

この様にメルボルンの街づくりが進み、人口が増えると、埋葬の土地が必要になる。
メルボルンの最初の墓地は、メルボルン(ポートフィリップ)の海が見渡せる市内西北にある丘の上に建てられた。
これがフラッグスタッフガーデンの始まりである。

ウィリアム通りからクイーン通りに広がる10エーカー(4万平米)ほどの丘は、埋葬の丘(べリアルヒル Berial Hill)と呼ばれた。
当時のポートフィリップ地区は、NSW植民地の一部であり、時のバーク総督によって1837年に指定されている。

その後、メルボルンで最初の公式な墓地は、現在のビクトリアマーケットの野菜売り場から駐車場にかけての場所に作られた。
フラッグスタッフガーデンから、ビクトリアマーケットまではウィリアム通りを隔てて隣合わせである。


(メルボルンの建設当時のパイオニアを記念する塔。少なくとも10名以上は現在も埋葬されていると記入してある。1871年建設)

1839年に監督官(初代ビクトリア州総督)チャールズラトローブ(Charles La Trobe)によってメルボルンシティの周辺部の公園化計画が作成された。
フラッグスタッフガーデン、カールトンガーデン、フィッツロイガーデン、キングスドメイン、財務省公園などだ。


(フラッグスタッフガーデンを記念する旗竿。今は観光地となっている。)

1840年に外航船がフィリップベイに入港したことを連絡するフラッグスタッフ(旗ざおFlagstaff)システムが採用された。
フラッグスタッフとは、旗竿のこと。

航空機、電信などの通信、輸送手段がまったく無い当時は、英国本国などからやってくる外洋帆船が唯一の生命線だった。
英国など、西洋からの外洋帆船船の入港を知ると、サンドリッジの海岸に旗が高揚された。
サンドリッジに旗があがるのを信号員が確認するとこの場所に旗を掲揚して、市民に外洋船の入港を知らせた。

当時、この場所は、メルボルン中から見渡せたので、市民が、外航船の入港を知ることが出来た。
旗ざおの高さは、15mであった。


(7.2ヘクタールの広大な面積を持っている。)

1851年にビクトリアが、NSW植民地から分離独立した際には、ほとんどのメルボルンっ子がフラッグスタッフガーデンに集まり、独立を祝った。
公園内には、独立の記念碑がある。
1857年にはビクトリア植民地最初の地磁気観測所と気象台がここに設置された。
キング通りは、当時は、フラッグスタッフガーデンの丘の上がって下る道路であったが、市内を走る主要道路であり、平坦にするために、丘を削った。
現在、キング通りとフラッグスタッフ公園の間には、300mほどの長いブルーストーンの壁があるが、これは1857年の掘削工事の際に作られたものだ。


(フラッグスタッフガーデンの周りは、司法関係の建物などビジネス街であり、昼休みには多くのビジネスマン、OLがくつろいでいる。)

1860年代には、無線通信が主役になり、旗ざおリレー通信方式の役目は終わった。(公式には、1857年)
1862年に公園として整備が開始された。
1873年に公園として正式に登録された。


(フラッグスタッフの記念碑を西へ見て。最初の埋葬地は、英国からの船が着く港が見え、英国本国を向いた地であるこの場所であった。)

1880年代に、現在の公園内の小道や花壇、木々の植樹などが行われた。
1917年にビクトリア州の管理からメルボルンへ移管されている。
2004年にビクトリア州歴史遺産として登録された。

公園内には、2本の木々に囲まれた散歩小道が整備されている。
Moreton Bay イチジクの木、多品種のユーカリ、シュガーガムの木、リバーレッドガムの木、楡の木、日本の銀杏の木などが植わっている。

***********メルボルンの問題集*********

今回の質問。
1)これまでオーストラリアで何回のオリンピックがあったか?
@1回
A2回
B3回

2)最初のオリンピックはどこで開催されたか?
@メルボルン
Aシドニー
Bゴールドコースト
Cパース

前回の質問の回答。
1)メルボルンの大学の中で、設立の起源が最も古い大学は、どこか? @メルボルン大学

2)二番目に起源が古い大学はどこか?CRMIT大学 (前身の工科学校の設立は、1881年)

参考文献
オーストラリア伝記集(Australian Dictionary of Biography) published by the Australian National University
Flagstaff Gardens   Wikipedia  City of Melbourne  City of Melbourne(州遺産登録)

メルボルンの歴史 Wikipedia  メルボルンの初期の歴史 HISTORICAL TIMELINE

メルボルン歴史散歩の管理人 イタさん(Mike Itaya)  powered by

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