メルボルン歴史散歩の第11回目は、ジェームズクック船長(James Cook1728
- 1779) の話である。
ジェームズクック船長の生家がフィッツロイガーデン公園に現存しているが、実は、クック船長は、ビクトリア州やメルボルンとは歴史的にはほとんど関係が無い。
これまでのメルボルンの歴史の話からは、ちょっと外れるが、メルボルン歴史散歩の第10回経過を記念してクック船長の話とする。
クック船長についての事実関係。
@クック船長は、1770年4月にオーストラリアの東海岸のシドニーに到達し、NSWとクインズランドの地を西洋人として始めて調査した。
Aクインズランドの調査の際に、オーストラリア固有の有袋類動物にカンガルーと命名した。
Bクック船長の生家は、イギリスから1933年に移送されたものであり、オーストラリアで最古の建築物である。(英国製なので、分類外だが。)
最初にオーストラリアを発見したのはオランダの探検家Willem Janszoonであり、1606年にクインズランドのケープヨークに到達している。
(ジェームズクック船長の銅像。)
ジェームズは、1728年に英国ヨークシャーのGreat Aytonの農家に生まれた。
父はスコットランド人の労働者、母はヨークシャーの人。
18歳の時から徒弟として石炭運搬船で働いた。
この時代、イギリスでは産業革命が進み、石炭をエネルギー源とする各種の工業が進み、石炭運搬船が海運業の中心的な役割を果たしていた。
ジェームズは、この間に数学と航海術を勉強した。
1755年に商船で昇進していたにも関わらず、大英帝国が発展し海外に植民地を展開する様子に刺激され、海軍に入隊した。
(クック船長の生家。 英国ヨークシャーのGreat Aytonの農家。)
海軍に入ったジェームズは、商船での経験を評価され、入隊後1ヶ月で一等航海士に昇進する。
1755年から1766年までは、カナダでの英国海軍の作戦に従事した。
主な役目は、ジェームズ優れた航海能力のために未探検地区の調査と海図の作成でした。
この時点で英国海軍の中では最高レベルの航海士となっていた。
(クック船長生家の入口。おとな$4.5)
1766年にイギリスの科学学会である英国王立協会の要請により天文観測の目的で、クック船長は南太平洋に派遣された。
英国王立協会(Royal Society, 王立自然科学協会The Royal Society of London
for the Improvement of Natural Knowledge)は、1660年にスチュアート王朝(House
of Stuart)のチャールズ2世(Charles II )によって設立された。
南太平洋調査は、地球上の離れた2点から金星を同時刻に観測し、天文緯度の差から地球と金星の距離を測るという壮大な天文観測計画であった。
米国のスペースシャトルエンデバー号は、クック船長のこの航海の旗艦ンデバー号(HMS
Endeavrour)に由来している。
(フィツロイガーデン)
天文観測が終わるとクック船長は、南太平洋の調査を開始し、1769年10月6日にニュージーランドに到達した。
ニュージーランドは、1642年にオランダの探検家アベルタスマンによって発見されており、クック船長は、ヨーロッパ人としては2番目であった。
クック船長は、NZを詳細に調査して地図をつくり、南島と北島を分けるクック海峡を発見している。
NZの調査を終えたクック船長は、当時はバンディーメンズランドと呼ばれたタスマニア島(アベルタスマン船長に由来する。)を目指した。
しかし暴風に会い北側へ流されたクック船長とエンデバー号は、1770年4月17日ににオーストラリアの東海岸(NSW州)へたどり着いた。
シドニーを出発したエンデバー号は、北へ向かいグレートバリアリーフで遭難し、その修復の際に、オーストラリア固有の有袋類動物にカンガルーと命名した。
(クック船長生家の側面より)
クック船長は、第一回目の調査航海は、1768年から1771年までの世界一周航海であった。
第二回目は、1772年から1775年までの世界一周航海である。
第三回目は、1776年から1779年にかけてであるが、ヨーロッパ人としては初めて、ハワイ諸島を発見したが、その際に島民と諍いになり、残念ながら
命を落としている。
(クック船長を記念して英国国旗ユニオンジャックが形容されている。フィッツロイ公園は、上空から見るとユニオンジャックの形をしている。)
クック船長は、メルボルン、ビクトリア州には来たことがない。
1933年にイギリスの新聞にオーナーがクック船長の生家を800ポンド売りに出すという広告が載せられた。
2週間後に豪州人Sir Russell Grimwadeが買主として現れた。
しかし契約た成立したあとで、クック船長生家のオーナーは、小屋をイギリス国外へ持ち出すことに反対した。
しかし契約書には、大英帝国国内と記入してあり、豪州は独立国にはなったものの、立派な大英帝国(Commonwealth)の一員であり、
契約どおり生家は、Sir Russell Grimwadeが購入した。
その後Russelllは当時、豪州で最大の都であったメルボルン市に寄贈した。
クック船長生家は、フィッツロイガーデンの中にあります。
この場所の地図 Google Map
前回の質問。
1)オーストラリアが独立国であるがそれまでは何処の植民地であったか? @イギリス
2)オーストラリアが独立した年は? A1901年
今回の質問。
1)世界で初めて世界一周航海を到達したのは誰か?
@キャプテンクック
Aバーソロミューディアズ
Bキャプテンマゼラン
2)何年のことか?
@1498年
A1522年
B1775年
クック船長協会
豪州海洋博物館
ニュージーランドの発見(クック船長)
NSW州立図書館
参考文献
オーストラリア伝記集(Australian Dictionary of Biography) published by the Australian National University
ジェームズクック James Cook Wikipedia オーストラリア伝記集
メルボルンの歴史 Wikipedia
メルボルン歴史散歩の管理人 イタさん(Mike Itaya) powered by
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