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タスマニア号とサンドリッジ

プリンセス桟橋 Prince's Pier

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2007年8月13日(月)
プリンセス桟橋 Prince's Pier
サンドリッジ Sandridge
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

今朝のメルボルンは、真冬に逆戻りの寒さでした。最低気温が3度と凍てつくメルボルンの早朝です。小雨も降っていて辛い朝でした。それでも昼頃からは晴れてきて、夕方はからっとした晴天になりました。

正面は、プリンセス桟橋とタスマニア号(Spirit of Tasmania)

昨年の今日2006年8月13日(アルバートパークゴルフコース)

ここの海岸をサンドリッジ(Sandridge Beach)といいます。現在は、プリンセス桟橋と反対側のドック産業地域に囲まれたわずか800mの海岸です。ここはメルボルンの初期の時代に計り知れない重大な役割を果たした場所です。1835年にメルボルンの歴史が始って以来、ヨーロッパからの移民は、帆船に乗って約半年をかけてはるばるヨーロッパから到着するのがこのサンドリッジの海岸なのです。多くの船がこの場所に到着します。陸側で待ち構えていた沖仲仕が艀(はしけ)で帆船と海岸を往復して移民と荷物を海岸に降ろしました。ゴールドラッシュが始ってからは、毎日、数船が着いて沖には数十艘が待船をしているという事態になりました。もちろん荷上げ作業はかなり料金がかかります。

サンドリッジビーチの西側。木立の向こう側は、ポートメルボルンの産業地区。トヨタ自動車オーストラリアの本社もあります。

事態の重大性に気づいたビクトリア州政府は、直ぐに桟橋の建設に取り掛かりました。これが豪州で最初の大型桟橋であるステーションピアです。同時に作ったのが豪州最初の鉄道であるステーションピア−フリンダース駅線です。ステーションピアに到着する大量の移民と物資をフリンダース駅まで運ぶためです。こーしてメルボルンの歴史は大きく動き出したのです。

ガーデンシティ 人気のビーチフロントアパートメント。左側の2棟と右側の3棟の間にすこしスペースがあります。ここに陸側にビーコン(灯台)があります。またプリンセス桟橋の海側の沖にも灯台があります。
メルボルンの湾をポートフィリップ湾(Port Phillip)と言いますが、水深がほとんどない浅い海です。はるばるヨーロッパからやってきた帆船が浅い海でつぎつぎと座礁しました。そこで作られたのが、この陸と海のふたつの灯台です。ふたつの灯台の光がひとつになる線をまっすぐに進んでくれば、座礁せずにステーションピアに入ってこれるのです。Melway 56ページK5からK12の水深が深い部分が灯台の光が1点になる線。船舶用語でリーディングライト(Leading Light)と言います。海中のLight Tower(K4)と陸のBeaconTower(K2)もMelwayに載っています。Google Map

静かなサンドリッジの海。
今では訪れる人もまばらなこの海岸ですが、今から150年ほど前のゴールドラッシュの最中には、まったく違った光景が展開されていたのです。

サンドリッジビーチ

プリンセス桟橋は、1920年にステーションピアの補完の為に作られましたが現在は使用されていません。破壊することなく、なんとか生まれ変わって欲しいと思います。

トラム109番の終点ビーコンケーブ(Beacon Cove)で下車、徒歩5分。BBQ設備あり。

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