Canon EOS 40D シャッター速度 1/200 秒 絞り F9.0 太陽光 評価測光 ISO感度 100 画質圧縮率 RAW レンズ:EF24-70mm
f/2.8L USM
撮影:2009年1月3日 板屋雅博
ステーションピアは、当初はレイルウェイピア(鉄道桟橋)と呼ばれていたが、1854年9月12日に開設された。同時にフリンダース駅とステーションピアを結ぶオーストラリアで初めての鉄道路線が開設された。1850年のメルボルンの人口は3万人であったが、ビクトリア各地でゴールドラッシュが始まるとわずか数年で30万人の金目当ての移民がヨーロッパや中国から押し寄せた。この膨大な移民を受け入れる為に開設されたのが、レイルウェイピアであり、鉄道路線であった。
1900年代に入ると帆船に変わり蒸気船の時代になり、従来の桟橋では対応できなくなり新しい橋が必要になった。1922年から1930年にかけて建設されたもので、現在でもつかわれるオーストラリアで最大の木造建築物である。
大型クレーン(Stothert and Pitt)が1949年に設置された。初期に建設された桟橋は、現在の桟橋の下でサポートとして使われている。急増する多くの外航船や大型船を受け入れる為に1861年には、レイルウェイピアは、661mに拡張された。
鉄道は、蒸気機関車が走っていたが、1919年にポートメルボルン駅まで電化され、その2年後の1921年にステーションピアの旅客桟橋Bay Excursion
Platformまでが電化された。電車用の架線も旅客桟橋へと引きこまれた。 客車は、月曜から金曜まで1日2回の運行であった。しかしビクトリア鉄道局の財政難により1930年11月にステーションピアまでの運行を停止した。(ポートメルボルンまでは運行していた。)1933年5月22日からは海外からの客船が到着した際にのみ残橋まで運行した。1936年3月7日から1939年10月までテイト列車(Tait
train)と呼ばれる片側スライドドア式で屋根を銀色、車体を青色に塗装した観光客用列車が導入された。テイト列車の名前が先頭車両の頭部に赤い色で描かれた。テイトの名前は、1903年から1910年までビクトリア鉄道局の局長を務めたSir
Thomas James Taitに由来する。