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プリンセス桟橋 Princes Pier

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サンドリッジ海岸

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Graham station

産業史 港湾


2022年7月27日(水)(responsive版)
Princes Pier
サンドリッジ海岸 Sandridge Beach
メルボルン
この場所の地図(Googole Map)

プリンセスピア桟橋は、全長580mで、ポートメルボルンの歴史的な建物である。当初は、新鉄道ピア(New Railway Pier)と呼ばれていたが、1920年5月にプリンスオブウェールズ(Prince of Wales)、後のエドワード8世王(Edward VIII))がメルボルンを訪問した際に、プリンセスピアと改めらえた。

撮影データ Canon EOS 5DMarkU 絞り優先AE 評価測光 絞りF9.0 1/160秒 ISO感度 100 露出補正 オート JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM 2012年09月19日14:49 板屋雅博 撮影

 プリンセス桟橋は、1912年から15年にメルボルン港湾局(Melbourne Harbor Trust)によって、隣接するステーションピア、当初は鉄道ピア(Railway Pier)桟橋)の補助として建設された。1915年に完成してから1959年まで、新しくやってくる移民の主要到着港であった。特に戦後の時期には多くの移民を迎えた。港には、通関ゲート館、障壁、ターミナルビル、物品倉庫、商品ロッカー、バスルーム、鉄道支線、旅客通路などが設置された。
1912年から30年代にかけてメルボルン港湾局の理事たちが積極的に活動した記録が残っている。国際貿易に於いてポートメルボルンに大型船を入港させたいと考えていた。大量の輸入貨物と旅客を効率的に処理する画期的なシステムを採用していたことを実際に目にすることが出来る。

 開業当初からプリンセス桟橋は、ポートメルボルン鉄道線に繋がっており、メルボルンのグラハム駅(Graham station)から複線(double lines)となっていた。各方面4本づつの8本の鉄道トラックが橋につなぎ込まれていた。1921年5月30日からメルボルン近郊鉄道が運営する1本の旅客用線が稼働開始した。船舶が桟橋に着岸すると列車は運転を開始して、一輌建て両開きドア(double ended 'swing door')式モーター駆動列車が運行されたが、1930年11月に停止されたが、ビクトリア鉄道にとって大幅な赤字が理由であった。




 鉄道上部に架設されたワイヤ類は1953年に撤去さえれた。1961年3月21日からは支線として使用された。コンテナがブームになるとプリンセス桟橋は使用されなくなり、材木の状態が悪化した為に、1990年代には一般のアクセスは禁止された。
1990年代には、浮浪者が火をつけるという事件が起こり、石材の構造を破壊した。2004年までの3年間で14回の火災が起こった。2006年4月に州政府は改修費用は14百万ドルの費用を発表した。プリンセス桟橋の岸壁から196mは完全に復元された。それ以降のデッキは撤去されて、当初のパイロンが維持された。完全な改修は、6千万ドルの費用が必要であった。2007年に契約が締結され、同年に改修が始まった。改修された箇所は2011年12月に一般に解放された。


 グラハム駅はグラハム通り駅として1888年に開業し、1909年にグラハム駅となった。路線自体はオーストラリア最初の路線として1854年に開業した。駅には複線鉄道の両側に一対の側面式プラットフォームがあった。中央には造園された30.5mの保護地がバウンダリー通りかあグラハム通りまで設置されていた。これは幅100ヤードの鉄道保護地を設けることという短期間だけ存続した議会規則のなごりである。





 1914年、新桟橋(New Pier、プリンセス桟橋)が既存のステーション桟橋の北側にオープンした際にグラハム駅は、分岐駅となった。グラハム駅のフリンダース駅側の端で新しい路線が分岐した。グラハム通り側の水平交差点にインターロック式ゲートが2セット、設けられた。西側に1台の信号機ボックスによって制御された。多くの商品が上側の端で処理された。ブリッジ通り水平交差点は、独自の信号機が設置されていた。



 1960年代には、貨物の荷捌き方法が変化して、プリンセス桟橋への交通量は減っていった。1961年には、鉄道は単線に減少され、本線から支線扱いになった。グラハム駅からポートメルボルンまでは単線となり、上り路線トラックは閉鎖され、プラットフォームも使用を中止された。信号ボックスも閉鎖され、 下りのプラットフォームに設置された新しい建物に設置されたシングルパネルによって取り換えられた。 ブリッジ通り水平交差点にはブーム式遮断機が1961年に設置されたが、信号ボックスは直ぐに取り外された。駅の下り側端にあったグラハム通り水平交差点は、立体交差(grade separation)が実施された1970年10月に廃止された。4レーンのうち2レーンが完成し、残りの2レーンは翌年に完成した。最後の旅客は1987年10月10日にグラハム駅を通り過ぎ、その後は軽鉄道に転換された。貨物輸送はその後も継続された。軽鉄道は1987年12月18日に公式に運営を開始した。

 
オーストラリアで2番目に大きな材木製パイル構造である。

プリンセス桟橋は、オーストラリアの軍部の歴史に深い関係を持っている。第一次大戦と第二次世界大戦の際に豪州軍の乗船地点であった。第二次大戦の際に、米軍の上陸地点にもなった。



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