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マーベラスメルボルン

 三人の船長 Three Captains

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2016年9月28日(水)
三人の船長  Three Captains
マーベラスメルボルン marvellous Melbourne
メルボルン Melbourne
日豪プレス 

日豪プレス紙の2016年8月号から新たに「マーベラス・メルボルン」という記事の連載を始めた。メルボルンの文字通り黄金時代を通してどのようにして現在のような素晴らしい文化社会を作ったのかを見ていきたい。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先優先AE 評価測光 絞り 9.0 1/250秒 ISO感度200 露出補正 太陽光 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 2016年1月16日 15:51
撮影:板屋雅博

メルボルンを最初に調査したジョン・マレー船長のレディネネルソン号、レプリカでありタスマニアに停泊している。

 メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた時代があった。メルボルンを首都とした豪州連邦政府が出来る1901年までの50年間であるが、メルボルンっ子は如何にして驚異のメルボルンを作り上げていったのか。

マウントガンビアにあるレディネルソン旅行センター


レディネルソン タスマニア

マウントガンビア・インフォメーションセンター

 第一回は、メルボルンに移民が始まるかなり前、3人の船長によるメルボルンの調査の話だ。メルボルンは、1835年にタスマニア島からの移民によって成立したが、その35年ほど前に英国の船長たちによってメルボルンの調査が行われた。
メルボルン湾は、正確にはポートフィリップ湾と云うが、この話ではメルボルン湾とする。メルボルン湾を最初に発見したのは、レディネルソン号のジョン・マレー船長であり、1802年2月15日にメルボルン湾に入っている。マレー船長は、約1か月間に渡ってメルボルン湾に留まって調査している。

マシューフリンダース


 マレー船長の10週間後にマシュー・フリンダース船長がインベスティゲーター号でメルボルン湾に入ってきている。実際のところフリンダース船長は、メルボルンやビクトリア州にとっては大きな功績を残していない。しかしオーストラリアに取っては、極めて大きな功績を残している。ビクトリアとタスマニアの間に海峡があり、タスマニアが島であることを発見し、船医の名前をとってバス海峡と名付けた。初めてオーストラリア大陸を一周し、オーストラリアが大陸であることを確認した。

フリンダース駅とフリンダース通り


 新オランダなどと呼ばれていた新大陸を、オーストラリア(Australia)及びオーストラリア大陸(Terra Australis)と初めて記録した。市内中央部にあるセントポール大聖堂前にフリンダース船長の銅像が立っている。初めてメルボルン湾を本格的に調査したのは、NSW植民地測量主任であったチャールズ・グリム船長である。

チャールズグリム橋


 1803年1月にメルボルン湾に入り、2月1日には、メルボルンの海岸線一帯を調査し、2月2日にヤラ川の河口を発見している。当時のヤラ川は、自然のままの小さな川で、周辺は芦などに覆われた湿地帯であった。ヤラ川は汽水で飲めないが、ヤラ川に流れ込む小川(現在のエリザベス通りは小川であった。)は淡水であると発見している。2月3日には自らを隊長とする調査隊を編成し、手漕ぎボートでヤラ川をさかのぼり、現在のビクトリアパーク駅から北東へ500mほど行った場所にあるデイツフォールズ滝まで到達している。メルボルン中心部に飲み水が存在していることが、後の移民団に取って最も重要な発見であった。

 チャールズ・グリム船長

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