シティ案内

今日の一枚へ

マーベラスメルボルン

 第10回 クイーンビクトリアマーケット Queen Victoria Market

メルボルン百景トップ

2017年5月25日(木)
日豪プレス5月号
クイーンビクトリアマーケット
Queen Victoria Market
マーベラスメルボルン marvellous Melbourne
メルボルン Melbourne
日豪プレス 

メルボルンで最初のマーケットはメルボルン発祥の地であるエリザベス河岸のすぐそばにできたウェスターンマーケットだ。すぐ後にイースタンマーケット。市内が手狭になってすぐ郊外に出来たのがクイーンビクトリアマーケットである。

撮影データ Canon EOS 5DMarkU 絞り優先AE 評価測光 絞りF11.0 1/320秒 ISO感度 200 露出補正 オート JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM 2012年3月19日14:46 板屋雅博 撮影

 ゴールドラッシュ期の移民流入で人口が激増したことにより、食糧需要も急速に増大した。
メルボルンの発祥の地は、エンタープライズワーフの場所であるが、そのすぐ近くにメルボルン最初の市場であるウェスタンマーケットが1841年に開設された。マーケット通りの名前が残る場所である。野菜や果物を売る市場として始まり、1961年まで続いた。市内東部のスプリング通りに財務省ビルや植民地政府の建物が建てられ、市の機能は東部へ移った。



 二番目のイースタンマーケットがバーク通りの現在サザンクロスタワーが建っている場所に作られた。牛や羊などを扱うキャトルマーケット(家畜マーケット)も郊外に作られた。有能な行政官たちが市場敷地の設定や管理者の選任などの政策決定して、市場建設と食糧物流が進められた。
最も繁栄したのはイースタンマーケットで、1850年代から果物や野菜類の卸売市場として、メルボルンの繁栄の時期には週末の夜の社交場としても活躍し、1900年代に入ると中古品市場としても客を集めた。鶏などの家禽類と果物、野菜の市場は、水曜日と土曜日の午前中に市が立った。
 

 イースタンマーケットは、メルボルンの第一市場としてウェスタンマーケットを凌駕していた。朝10時以降には家畜用の干し草の市場となったが、それ以前にはにフリンダース通りとスワンストン通りの交差点のあたりに干し草とトウモロコシの市場があったが、セントポール大聖堂の建設によりイースタンマーケットに移転してきた。



 市内のふたつの市場では増大する食糧需要をまかないきれない為に、1857年にクイーンビクトリアマーケット(QVC)が計画された。中心部からすこし西北側でメルボルン最初の墓地があった場所であり、メルボルンの創設者であるジョン・バットマンも眠っている。ゆるやかな斜面に位置しており、最初は、エリザベス通り側にローワーマーケットが建てられ、現在の肉類売り場、魚売り場、加工食品デリ売り場などが地区がオープンした。増大する需要に応えるため、1877年に現在の野菜売り場があるアッパーマーケットが開設された。
クイーンビクトリアマーケットは、クイーン通りとビクトリア大通りの交差点に出来たので、この名称がある。英国のクイーンビクトリア女王とは関係がない。

 食肉卸売市場は、QVCの設備が不十分であり、商人たちから不満の声が多いために1880年に、メトロポリタン・ミート・マーケットがノースメルボルンに建設された。
QVCは、豪州最大のオープンエア市場であるが、これほど都心に位置するのは世界でも例がない。現在、QVCの他にサウスメルボルン・マーケット、プラーンマーケットなど10か所以上のオープンエア市場がメルボルンにあり、多彩な移民文化を支えている。メルボルンはオーストラリアを代表する市場の街と云われる由縁である。

このページのトップに戻る

inserted by FC2 system