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マーベラスメルボルン

グレートオーシャンロード

No15 難破海岸とグレートオーシャンロード

メルボルン百景トップ

2017年8月30日(水)
難破海岸とグレートオーシャンロード
マーベラスメルボルン 
marvellous Melbourne
メルボルン Melbourne
日豪プレス 

グレートオーシャンロードは、かつて難破海岸と呼ばれて怖れられた。ビクトリアだけで700隻以上の船が沈没している。

撮影データ Canon EOS 5DMarkU 絞り優先AE 評価測光 絞りF14.0 1/125秒 ISO感度 100 露出補正 太陽光 JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM 2011年2月2日18:02 板屋雅博 撮影

画像は、ワーナンブールの海岸地帯

 メルボルン郊外の最大の見どころは全長243kmに及ぶグレート・オーシャン・ロードであるが、別名を難破海岸とも言って船乗りたちに恐れられていた。
オーストラリア発見の初期のころ、タスマニアは、オーストラリア大陸の一部だと考えられていた。実際に1万年前まではビクトリアの一部であった。



 メルボルンとタスマニアの間にはバス海峡があり、強い潮流と南極からの強風により、咆哮する南緯40度線として知られている。英国からの調査船や移民船は、バス海峡には強風で近づけない為、タスマニアのホバートまで南下してからシドニーへ向かった。シドニーやホバートに比べてメルボルンの発見や定住が50年ほども遅れたのは、このためである。



  オーストラリア大陸を始めて船で一周して、オーストラリアが大陸であると証明したフリンダース船長が1798年にバス海峡を発見して、乗船していた船医で友人の名を取ってバス海峡と名付けた。
バス海峡にはキング島やフリンダース島など多数の島があるが、いずれも強風と難破船で悪名高い。フリンダース船長は「このような恐ろしい海岸は見たことがない。」と航海日誌に記入し、難波船海岸と名前を付けた。


 難破海岸からバス海峡にかけて、数多くの船が沈没しているが、ビクトリア州の海岸だけでも776隻が難破している。タスマニアも含めると1000隻を超える数で1万人以上が亡くなっている。
当時は帆船最後の世代にあたり、英国の造船技術は航海術も含めて世界最高レベルであった。最新鋭の大型船が次々と跡形もなく消え去って行くため、人々はバミューダトライアングルをも超える悪魔が棲む海域として怖れた。 
それほどの犠牲を払ってまでメルボルンやビクトリアに向かったのは、もちろんゴールドラッシュの魅力のためであった。


 難破海岸にはもうひとつの恐ろしい試練があった。それは海岸に聳える高い断崖絶壁である。難破船から九死に一生の思いで脱出して、海岸にたどり着いても。200kmを超える長大な地域に渡る、高さ50mを超える岸壁を登ることができずに多くの船員、船客が海岸で餓死していった。
この地域は石灰岩で出来ているため、長い時間をかけて侵食して現在の奇怪な島影や断崖絶壁を形成している。現在では観光地、見どころとなっているが、難破船の遭難者にとっては死活問題であった。


 グレート・オーシャン・ロードの見どころ:
メルボルンからの入口の町、トーキーのベルズビーチは、サーフィンの世界的なメッカである。ローン、アポロベイなど美しいビーチエリアが続き、ポートキャンベルからワーナンブールにかけては最大の名所で12使徒、難破船のロックアード、ロンドンアーチがある。

wikipedia Shipwreck Coast  VHD

Matthew Flinders Bass Strait

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