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マーベラスメルボルン

No16 叡智の集結  (11月号) 

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2017年8月  日(土)
No16 叡智の集結
マーベラスメルボルン marvellous Melbourne
メルボルン Melbourne
日豪プレス 



撮影データ Canon EOS 5DMarkU 絞り優先AE 評価測光 絞りF5.0 1/1000秒 ISO感度 100 露出補正 オート JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM 2017年1月19日11:49 板屋雅博 撮影


 Redmond Barry


 メルボルンやビクトリアがゴールドラッシュで沸き返っていた1850年代、メルボルンの将来の為に3つの重大な組織が設立された。メルボルン大学と州立図書館(設立当時は、植民地政府立図書館)更にロイヤル・ソサエティである。まったく違う組織であるが、大学と図書館は、建築の為の礎石が同じ1854年7月8日に置かれた。
州立図書館は、単に図書館だけでなく、ビクトリア美術館、産業博物館、更にメルボルン博物館などが図書館を母体として育っていった。
国立図書館は、メルボルンに於ける叡智が結集する場所であり、将来の叡智の母体という重要な組織であった。
3つの学術機関を一度に設立できたのは、もちろんゴールドラッシュによって植民地政府が豊かであったからである。

 メルボルン大学は、そのための仁人材を育て、研究開発する機関である。発足当初の学部は、法律、薬学、芸術、音楽の4学部であった。
女性の入学は当時は認められず、初めての女子学生が入学許可されたのは、1881年のことである。
図書館と大学のふたつの組織は、連携してメルボルンの発展に寄与していくことになる。




  ビクトリア・ロイヤル・ソサエティは、科学技術の推進を統括する組織で、英国のロイヤル・ソサエティではアイザック・ニュートンが会長を務め、ジェームズ・クック船長の世界航海の母体になるなど数々の歴史的功績を成し遂げている。ビクトリア・ロイヤルソサエティも大学や図書館と同じ1854年の設立でオーストラリア初の大陸縦断探検隊の派遣をはじめ、多くの科学的な功績を成し遂げている。

3つの組織の発足に重要な役割を果たした人物がいる。レドモンド・バリーである。最高裁の裁判官であったバリーは、ビクトリアの将来の為には、教育が柱であると信じ、植民地政府に働きかけて、国立図書館とメルボルン大学、更にビクトリア・ロイヤルソサエティの設立を図った。
バリーは、メルボルン大学の初代学長を1880年まで務めた。

メルボルンの中央部のスワンストン通りを北へ歩くと州立図書館の巨大なドームがあり、レイモンドバリーの銅像は、州立図書館前広場の中央に陣取っている。 更に北に4ブロックほど進むと巨大なメルボルン大学がある。シティの中心部から歩いて行ける場所に大学を設けたこともバリーの功績とされる。エキジビジョン通とビクトリア通りの交差点にひっそりと立っている。


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