2017年11月 日(土)
マーベラス・メルボルン 第18回 1月号
「」
マーベラスメルボルン marvellous Melbourne
メルボルン Melbourne
この場所の地図
日豪プレス
撮影データ Canon EOS 5DMarkU 絞り優先AE 評価測光 絞りF5.0 1/1000秒 ISO感度 100 露出補正 オート JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM 2017年1月19日11:49 板屋雅博 撮影
eMelbounre
植民開始当初のメルボルンの夜は、世界の他の町と同様にろうそくとオイルランプ灯火でほそぼそと彩られていた。オイルランプは鯨油や牛羊などの脂を燃料にしていたが、においや煙などで人々からは不人気であった。そのころ英国や欧米では石炭ガスをエネルギー源とする産業革命が進んでいた。1812年にロンドンで世界最初のガス灯会社が設立され、市内にガス管の敷設がスタートした。1850年頃までには英国全土に広まった。
先進技術は直ぐにメルボルンにも到達した。1840年代には数名の意欲ある事業主が小型石炭ガス発生機を作って、ガスランプで夜の店舗を照らした。パン屋のウィリアム・オバートンがフィッツロイの鍛冶屋ジョージ・サウスに依頼して制作した石炭ガスランプは、1849年7月23日に市内の目抜き通りであるスワンストン通りの店舗に点灯して多くの市民の注目を集めた。新しもの好きのメルボルンは、翌1850年に早くもメルボルン市ガス&コークス会社が設立され、ロンドンから技術者を迎え入れて、市内や近郊地区にガス管が敷設された。1856年元旦に同社のバットマンヒル工場(現サザンクロス駅)に主要設備の蒸留棟設置され石炭ガスがメルボルン市内の店舗や事務所に供給が開始された。高価な鉄製のガス管は、全て英国からゴールドラッシュの金と引き換えに輸入された。
オイルランプに比べるとガスランプは格段の進歩であった。しかしメルボルン市当局とガス会社とのガス購入価格が折り合わなかったため、道路の街灯が実施されたのは1857年8月であった。ガスの需要は非常に多く、ガス会社は、多数のガス本管を敷設し、メルボルン市周辺部では今もなお使用されている。当時流行った用語がCook
with Gas(ガスで煮炊きを)であった。市内にはガス管が張り巡らされ、各家庭ではガス炊飯器、ガス温水器、ガス暖炉、ガス冷蔵庫などの使用が始まった。電気が普及するのは50年も先の1900年代のことであり、日本はまだ江戸末期にメルボルンでは近代的な生活が始まっていたのはまさにマーベラス・メルボルンの到来であった。日本で最初のガス事業が始まったのは1872年の横浜ガス会社であるので、メルボルンが20年以上も早い。
ただし夜間にガスライトが点灯するのは長時間労働の始まりでもあった。産業革命の結果、大量生産の工場が出現し、労働者保護法などはないので、女性や子供なども含んで、一日15時間以上の長時間労働も数多くみられた。ガスライトやガス暖房機はまだ初期の段階であり、火事が多発するなど不安定であった。電灯が1900年頃に
マーベラス・メルボルンとは、石炭ガスを熱源とした蒸気機関の時代とも言える。その始まりが灯火としての利用であった。
このページのトップに戻る
|