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マーベラスメルボルン

No.24 ザフォールズ The Falls メルボルン発祥の地 日豪プレス7月号

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The Falls

ヤラ川

2018年6月14日(木)
No.24 ザフォールズ The Falls 
メルボルン発祥の地 
日豪プレス7月号
マーベラスメルボルン marvellous Melbourne
メルボルン Melbourne
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日豪プレス 

ヤラ川にかかるクイーンズブリッジ橋の真下には、かつて連続した岩石で出来た段差ほどの自然の滝があり、英国人はザフォールズ(the Falls)と名付けた。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 絞り7.1 1/200秒 ISO感度 100 露出補正 オート PG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2010年12月16日


ザフォールズはヤラ川の上に1mほど突き出た玄武岩質の岩棚でヤラ川を対岸まで横断していた。メルボルンを最初に調査したチャールズ・グリム船長は、1803年2月2日にヤラ川を調査し、ザフォールズから4kmほど川をさかのぼって、デイツフォールズ(Dights Falls)まで到達している。ザフォールは残っていないが、デイツフォールズと似た滝であった。




 原住民アボリジニの人々は、ザフォールズを集会の場所とし、対岸に渡る橋として利用した。ヤラ川のヤラとは実はザフォールズを意味するアボリジニの言葉であった。チャールズ・グリム船長は、ザフォールズの上流が真水であることを調査日誌に記録しており、後の日にビクトリアへの移民を可能とした。



  1835年8月30日タスマニア・ロンセストンのジョン・フォークナーをリーダーとした最初の移民船(不法)エンタープライズ号がヤラ川をさかのぼり、ザフォールズの手前に停泊した。北側の地ノースバンクに上陸した一行は、ザフォール北側の真水を飲用水や農業用水、羊・牛などの家畜用の水に活用して、メルボルンの地を開拓していった。フォークナー上陸地は、現在のエンタープライズ公園であるが、その後も移民船や輸送船が停泊して、最初は粗末な木製の桟橋が築かれ、メルボルン最初の港となった。





 ザフォールの下流側は、海水が混じる汽水であり、ザフォールによる水圧の力で削られ、水深が深くなっていた。ヤラ川の南北岸も水流で削られて、川の中の湾のようになっていた。メルボルン水族館の前は、かつて湾であった記念に赤・黄・青の水路標識モニュメントがヤラ川に浮かんでいる。ヤラ川河口の水深が浅い為に大型船は入港できないが、中型船までは入港することが出来る。中型船が旋回できるだけの大きさがあり、ターニング・ベイスン(旋回湾)と称されていた。1860年代からサウスバンク(現在のクラウンカジノ)にはドックが作られ造船業が盛んになった。

真夏のメルボルン水族館

 サウスワーフには、英国とメルボルンを往復して活躍した快速帆船ポーリーウッドサイドと乾式ドックが海洋博物館として整備されており、当時の保税倉庫はレストランとなり観光客を楽しませている。メルボルンが海岸ではなくヤラ川の少し上流に位置するのはまさにザフォールの存在が理由である。

 Duke and Orr's Dry Dock



 
保税倉庫4番〜9番




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