シティ案内

今日の一枚へ

マーベラス

産業史

No.28 うさぎの大繁殖 rabit

メルボルン百景トップ

野生のウサギの話 

漁港と人形アート

イースタンビーチ 

Thomas Austin

うさぎの大繁殖

バラライン半島

Barwon Park Mansion

2018年10月10日(水)
No.28 うさぎの大繁殖
日豪プレス2018 年11月号
マーベラスメルボルン marvellous Melbourne
この場所の地図
日豪プレス 

オーストラリアは、空港などでの動植物検疫が厳しいことが有名だが、その理由はかつて狩猟用としてうさぎを英国から輸入して大繁殖してしまったことが原因と云われる。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 絞り 10 1/500秒 ISO感度100 露出補正-1/3 オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2016年1月21日 18:30

ジーロンの海岸にあるボラード彫像

 1859年ビクトリア第二の都市で、農業産品の出荷港であるジーロン郊外の大地主トーマス・オースティンが英国から競技ハンティング用として24匹の野生うさぎを輸入して、所有するバーウォン農園に放った。このころオーストラリアの羊の数は、1500万頭に達して、富裕な大農園主は英国ジェントルマンを気取ってウサギ狩りを始めるものも増えていた。牧場主たちは、羊や牛を守るため、野犬ディンゴ、山猫、カラスなどを駆除したので、牧場はうさぎの繁殖に適していた。多くの農場主が野ウサギを牧場に放ち始めた。農場主の中には、人口繁殖場を作ったり、番人を置いたり、贈り物にしたりでたいへんなブームになった。ウサギを殺した雇い人は解雇という事例まで出た。郊外の牧場主にとってウサギ狩はスポーツとしてビクトリア州などに定着します。

メルボルン郊外ウェリビーにある農業資本家の邸宅

ウサギの肉は、上流階級の中でもてはやされ、オースティンのバーワン農園で1万頭を超えるウサギが狩猟された。ウサギ狩りは、植民地上流階級の重要な娯楽・スポーツとして定着した。イースターのウサギに代表されるよに多産系の動物として有名で、1860年代には増えすぎたウサギが被害を与えるようになった。牧草を根こそぎ食い尽くし、また牧草地を穴だらけにして、牧羊業者に危機的状況をもたらした。気付かない内にウサギが増え数百万頭の数にまで増えた。1870年代から1880年代にかけてはビクトリア州から、NSW州、南豪州まで広がっています。この地域全体で数千万頭まで増えたのです。

ジーロンの海岸

 トーマスオースチンは、100人を雇って200万頭を駆除している。1887年には、人口100万人のNSW州だけで1650万頭のウサギが駆除された。ウサギの駆除に何万人もの人が参加しています。ウサギの肉は下層階級専用の肉になり、メルボルンでも年間数百万頭の肉が入ってきて町にはウサギの肉を売る物売りがあふれた。1900年ころには、年間1000万頭のウサギの肉が輸出されています。駆除のためにテン、イタチなどの天敵の導入が図られた。同じ被害に苦しむニュージーランドはテンを大量に輸入しましたが、テンがNZの動物や農作物を食い荒らし、ウサギ以上の被害が出た。毒薬も多く試されました。しかし広範囲な環境破壊や他の動物を殺す被害を引き起こしただけで効果はほとんどありませんでした。最大の問題点は99%を駆除しても残りの1%で3年間で元の数字に戻ることであった。

サウスオーストラリア バロッサバレーの牧場


 ウサギの被害が収まったのは、ウサギ特有の病気による。1931年にミクサマトウシスという病気を持ったウサギが発見されました。感染したウサギは次々を死んでいきました。死亡率はぼぼ100%です。しかしこの病気も特効薬ではなく1988年には南豪州で8000万頭のウサギが記録されている。その後も大きな被害をオーストラリアへ与え続けた。オーストラリアで動植物検疫が非常に厳しいのは、うさぎの大被害に学んだことによる。

バロッサバレー

このページのトップに戻る


inserted by FC2 system