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No.29 オーバーランダー(大陸横断家)

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2018年11月5日(月)
オーバーランダー(大陸横断家)
日豪プレス2018 年12月号
ジョン・ガーディナー  
John Gardiner (1798-1878)
マーベラスメルボルン marvellous Melbourne
この場所の地図
日豪プレス 

メルボルン初期の移民にはオーバーランダーと呼ばれる冒険家や事業家たちがいた。NSWなどから陸地を歩いて渡ってきた人たちである。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 絞り 10 1/500秒 ISO感度100 露出補正-1/3 オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2016年1月21日 18:30


 ジョン・ガーディナーが代表として知られる。アイルランド・ダブリン生まれのガーディナーは、22歳でヴァン・ディーメンズランド(現タスマニア)に移民し、「魔女の宅急便」のモデルと云われるロス市の郊外に300ヘクタールの大農園を所有していた。一方でヴァン・ティーメンズランド銀行の役員である経営者であり、大農業資本家であった。

その後、シドニーに移民していたが、メルボルンの町がタスマニアからの不法移民により設立されたとのうわさを聞いて、1836年に300頭の羊を購入して、仲間数人と約1000km離れた新天地メルボルンを目指した。約4週間を費やして漸くビクトリアに到着した。ガーディナーは、直ぐにシドニーまで徒歩で戻り、今度は200頭の羊を率いて再度、メルボルンまで連れて帰った。


 ガーディナーは、メルボルン最大の牧畜家となり、リッチモンド、ホーソン、サウスヤラなどのメルボルン近郊サバーブに広大な敷地を所有した。放牧場としては、ヤラ川上流地域、ダンデノン丘陵などに6000ヘクタールの土地を所有した。銀行家としてもユニオン銀行(現ANZ銀行)の役員を務めた。敬虔なクリスチャンとしても、セントミッチェル教会などを設立している。
ヤラ川の支川であるガーディナー・クリークや地名、駅名、道路名などにガーディナーの名前は、たくさん残されている。
メルボルン郊外のヤラバレーは、ビクトリアで一番有名なワイン産地として知られるが、ここもオーバーランダーが作った場所である。


 ビクトリア州最古のワイナリーとして知られるヤラバレーのイェーリングステーションは、
1837年、英国スコットランドからの移民であるライリー兄弟が250頭の牛を引き連れて、NSWモナロからヤラバレーのイェーリングに移民してきたことに始まる。イェーリングとはアボリジニ語でこの地区をさす名称である。NSWから持ってきたドイツ産白ワイン種苗木「ハンブルグの黒い房」を植えたのが、ヤラバレーのワイナリーのスタートであった。ライリー兄弟が、皮肉を込めて使ったワインのブランド名、シャトーイエーリング(Chateau Yering)がビクトリア州の最初のワインのブランドとなった。1861年にイェーリングステーションは、パリの国際ワイン大会で金賞グランプリを取ったが、オーストラリア及び南半球のワインがフランスで評価された初めてのワインとなった。

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