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マーベラス

No34  1850年代の民間建築物 日豪プレス2019年6月号

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ロイヤルテラス

Zanders No.3

ブルックス・ビルディングス

ジョブズウェアハウス

建築物1850‐59

幕末

2019年5月6日(月)
ロイヤルテラス
ROYAL TERRACE
ニコルソン通り 
フィッツロイ Fitzroy
メルボルン Melbourne
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1835年のメルボルン設立から20年ほど経ち、人々の生活は安定し、1851年のゴールドラッシュにより財政的にはロンドンを凌ぐほどになった。金塊の輸出と引き換えに最新技術と大量の物資が輸入され、富裕な商人や農業資本家が勃興してきた。この頃の建築物により時代を探ってみた。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/640 F6.3 ISO感度 100 オート 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2018年1月17日18:37 板屋雅博撮影

テラスハウス

 ロイヤル・テラス(ROYAL TERRACE)
各フロア10戸x3階建てのテラスハウス(集合住宅アパートメント)で、建築年は1854年。日本は幕末の安政元年で、ペリー来航の年である。メルボルンでは、ガスの供給もまだ数年先で、もちろん電気はなく、移動は徒歩か馬車の時代である。現在、世界遺産カールトンガーデンのニコルソン通りを挟んで反対側に位置する好立地である。 東メルボルンの高台は、政治家や法律家が多く住む一等地である。テラスの裏手には高価なブルーストーン石材製の馬厩舎が各ユニットに備わっていた。 設計は、著名建築家ジョン・ギル(John Gill)。施主は、建築家で富裕な材木商のジョン・ブリアントで、彼は完成後、1891年に他界するまで、このテラスに住んだ。


 テラス全体は、1955年までブリアントの家族が住んでいた。テラスは精巧なブルーストーンの切石積に砂岩の化粧材を使用して建設されている。建材の大半を輸入し、著名建築家に設計を依頼し、一等地に立地するなどブリアントの財力を伺わせる。赤色砂岩はスコットランドのアーブロース産、灰色砂岩は英国ハイランド産の高級輸入品である。前部境界線の鋳物のフェンスや、輸入品のを使った私道の舗装敷石も輸入品で贅沢を尽くしている。当時のメルボルンでは画期的なものである。このテラスに居住した有名なメルボルンっ子としては、ビクトリア首相のSir John O'Shanassy、芸術家の Nicholas Chevalier 

 初期のメルボルンに残るテラス式集合住宅としては、最大の建築物であり、優雅さの点でも比較する建物はない。シンプルな構成と質素な装飾は、高貴な印象を与える。ビクトリアのレガシー様式(Regency style)の比較的めずらしい作品である。大きさ、砂岩作品の品質などの点で豪州全体で並ぶものがないというレベルである。
植民地政府首相など有名人が住んでいたことは、この場所がビクトリア議事堂や政府中心地のイースタンヒルに近く、カールトンガーデンの隣に位置することなども重要な点である。

 この時代の多くの倉庫建築物はメルボルンの都心にあり、富裕な商人が都心部で倉庫兼店舗を経営していた。ブルーストーン製の豪壮な倉庫がたくさん現存している。1854年にルネッサンスリバイバル様式で建てられたザンダース第三倉庫は、A L Smithの設計でフィレンチェ、ローマの裕福な商人邸宅様式で建築されている。施主はアーガス新聞社で、現在は男性用ナイトクラブ。


 中心部繁華街のスワンストン通りに面する、ブルックス・ビルディングスは、1850年代にホーキンス兄弟の設計で連続する8軒の賃貸住居として建築された。外科医、建具職人、ダンス教室、フリーメイソンの事務所などが入居した。ジョブズウェアハウスは、メルボルンで最も古い建物のひとつで、1848年から49年にかけて2階建て植民地ジョージア様式で建築された。漆喰を塗ったレンガ造りで、柱脚にはブルーストーン石材が使われている。1階が店舗、2階が住居になっており、建築当初のシンプルな姿を保っている。肉屋ウィリアム・クロスレイが建てたもの。食肉販売店舗、食肉処理場もあり、家族と住む住居でもあった。クロスレイ通りからリバプール通りまでの1ブロックの一続きの建物である。1853年にリバプール通り側に建物が増築された。

電気も自動車も無いが、富裕な民間人が増えてマーベラスメルボルンと呼ばれた繁栄する1860年代に向かうメルボルンの姿が想像される。

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