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   イースト・メルボルン 日豪プレス2019年9月号 No38

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East Melbourne

2019年7月15日(日)
イースト・メルボルン East Melbourne
日豪プレス2019年9月号 No38
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イースト・メルボルンは、初代土地測量局長官ロバート・ホドルによって1837年に測量され1840年に成立した。メルボルンシティの碁盤目を設計したのもロバート・ホドルである。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/640 F6.3 ISO感度 100 オート 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2018年1月17日18:37 板屋雅博撮影


 シティ東の丘、イースタンヒルに植民地政府の官庁街があり、歩いて通えるイースト・メルボルンには政府役人、政治家、法律家、医者などの富裕層の家屋や高級アパートが集中した。官僚・富裕層向け高級アパートでは、ロイヤルテラス(1857年建築)、クラレンドンテラス(1856)、タスマテラス(1878)、クインベスロウ(1886)などの傑作建築が現存している。



 イースタンヒルに州議事堂(1856)、旧財務省ビル(1857)など政府の建物が並ぶ。イースト・メルボルンのランドマークといえば、セントパトリック・カトリック大聖堂(1858年)である。聖パトリックはアイルランド人の守り神で、『命の雫を飲むように』と遺言を残したと云われ、3月17日の聖パトリックデーには、象徴である緑色服を来て、命の雫=ビールを飲むアイルランド人を見かける。クイーンアン様式建築のイースタンヒル消防署は、1893年に建設されメルボルン市消防本部として、ビクトリア政府と首都メルボルンを火災や災害から守る最重要の消防本部として機能した。



 大聖堂の東には26haの広大なフィッツロイ公園が広がる。初代ラトローブ総督が、ロイヤルボタニカルガーデン植物園と共に都心の公園として最も注力した公園である。フィッツロイ公園は、上空から見ると英国国旗に見えるようにデザインされている。公園中央部にはキャプテンクック船長の生家が英国より移設されている。
クック船長は、1769年に南太平洋の調査を開始し、ニュージーランドの南島と北島を分けるクック海峡を発見した。1770年にオーストラリアに到達し、東海岸を調査している。東海岸以外は、オランダ東インド会社(本部ジャカルタ)の船長たちによって既に調査されていた。



 実はクック船長は、メルボルンやビクトリアには来たことがない。1933年に英国の新聞にクック船長生家を800ポンドで売却するという広告が載せられ、メルボルンっ子のラッセル・グリムウェードが購入した。所有者は契約後に英国外へ持ち出しに反対したが、契約書には大英帝国国内と記入してあり、豪州は独立したが、大英帝国の一員であった。グリムウェードは、地元メルボルンに寄贈した。
イースト・メルボルンには、オーストラリア最大のスポーツ・スタディアムであり10万人が収容出来るメルボルン・クリケット・グラウンドMCGがある。1956年のメルボルンオリンピックの際は、メインスタンドとして活躍した。病院が集まる街としても有名で、セントビンセント病院、ガンセンター、ロイヤルビクトリア目と耳病院、マーシー病院、フリーメーソン病院など世界のトップレベルの治療を受けられる。

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