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マーベラス

   フィッツロイ Fitzroy 日豪プレス2019年12月号 No41

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2019年10月10日(木)
電信の普及 telegraphy
まーべらすメルボルン
日豪プレス2019年11月号 No40
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フィッツロイは現在、メルボルンで最もトレンディな街として、サウスヤラと人気を二分するトレンディな観光地となっている。

撮影データ Canon EOS 5D シャッター速度優先AE 評価測光 絞り 4.0 1/2500秒 ISO感度100 露出補正 オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2011年2月1日

 メルボルンは1835年に移民が始まり、39年に人口は、3500名に達した。メルボルン市の行政区サバーブとしてフィッツロイは、39年に設立され、59年に政府の行政法により市の昇格した。
メルボルンの近隣郊外として、フィッツロイには軽工業の会社や工場が多く設立された。60年代から80年代にかけて、メルボルン市が急拡大し、フィッツロイには富裕者層が増えて、土地建物の投機家などの投資が続いた。ゲータルード通りやブランズウィック通りには豪邸やホテル、煌びやかな店舗が並び、メルボルン市外では初めての商店街が作られた。1861年にフィッツロイ石炭都市ガス工場とガスタンクが作られ、パイプラインにより町中に都市ガスが供給された。電気の供給より40年も早くメルボルンにはガスをエネルギー源とする近代社会が作られていた。

著名な事業家としては、マクファーソン・ロバートソン(Macpherson Robertson)で、フィッツロイに数ブロックに渡る巨大なお菓子工場があった。
MacRobertson's Steam Confectionery Works

 フォイ&ギブソンは、初期の豪州最大のチェーンデパート店であった。1852年年創業で、特色としては販売のみならず製造も行っていた点に特徴がある。広大な敷地に製造部門、販売部門を持ち、衣料品、家庭用リンネル製品、革製品、家具、寝具、家庭用品、食料品など広範囲の製品を製造して販売していた。
都市ガスによるパワーハウス(初期は石炭ガスによる蒸気供給)を所有し、自動車整備工場、関連工作工場、倉庫、製品製造工場、ショールームなどの設備も所有した。

 ブランズウィック通りのザ・ショップス(1888年建築))は、マーベラスメルボルンと呼ばれた1880年代の繁栄の時代の建築物である。メルボルンの土地が高騰しバブルと云って良い時代であった。不動産投資会社APIが所有したことが象徴的である。しかし1890年代は、インフレを抑えようと政府や銀行によりマネーサプライが絞られた結果、多くの不動産業が立ちゆかなくなり、売りに出された。エイボンバター工場(1932年))は、最新鋭のビジネスデザインに基づいた近代的な革新的な工場兼販売店舗である。スパニッシュミッション様式でデザインされ、中世風の外観を持ち、ビクトリア州で最も優雅なバター工場と表現されている。

 フィッツロイで働く労働者数も急増し、農業資本家の豪邸は、労働者の寮として使われた。90年代の不況期には失業者が街にあふれ、スラム街と化していた。一方で、貧しい人々を助ける為に教会、慈善家、慈善団体が設立され、無料の病院なども設立された。
アイルランド移民のシングルトン医師が始めたシングルトン・メディカルセンターは、身寄りのない人々の宿泊所、売春婦の未亡人たちの保護活動などの活動を行った。

フィッツロイの最大の見所は世界遺産エキジビジョンビルディングがあるカールトン・ガーデンがある。

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