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港町ウィリアムズタウン Williamstown 日豪プレス2021年1月号 No48

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マーベラス

ウィリアムズタウン

2020年11月28日(日) responsive
日豪プレス2020年12月号 No48
タイトル:港町ウィリアムズタウン
ビクトリア Victoria
この場所の地図(Googole Map)

メルボルンの西端に人気観光名所の港町ウィリアムズタウンがある。 ウィリアムズタウンは、メルボルン誕生から3か月遅れた1835年11月にタスマニア・ロンセストンから羊500頭、牛50頭を積んだ帆船ノーバル号がバス海峡を超えて到着して、本格的な植民が始まった。

撮影データ Canon EOS 5DMarkU シャッター速度AE 評価測光 絞りF10.0 1/160秒 ISO感度 100 露出補正 +2/3 太陽光 JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM 2011年2月04日板屋雅博 撮影

数週間のうちに更に一群の植民船が到着したが、全てシドニーの政府の許可を得ない不法移民であった。
メルボルン港は、ヤラ川内の港である為に大型船の入港が出来なかったが、ウィリアムズタウンは、海に面していて大型船が入港出来、英国やシドニーからの外洋船入港地として急速に発展した。街の名前は、当時の英国ウィリアムズ4世王から採られた。


船舶建造やメンテナンス、欧州との外洋航海などは、最新の科学技術が必要であり、船舶補修用ドック、灯台、天文台、船舶経度測定用タイムボール(第14回参照)、ウィリアムズタウン技術学校などが整備された。ビクトリア鉄道の製造整備の本拠地も設置され、ウィリアムズタウンはビクトリアの科学技術の中心地となった。1838年にポートメルボルンとウィリアムズタウンの間で蒸気フェリー船ファイアーフライ号の運航が始まった。
豪州最初の鉄道線は、1854年にメルボルンのフリンダース駅からポートメルボルン駅までゴールドラッシュで急増する移民を運ぶためであったが、豪州最初の政府経営の本格的な鉄道線は、ウィリアムズタウンからメルボルンのスペンサー通り駅まで、1857年に建設された。



ウィリアムズタウン港湾では、拡大する輸入品の取り扱いのため、税関が設置され、保税倉庫が港湾地帯に林立し、船員を収容し歓待する船員用ホテルや飲食店街が発展し、歓楽街も出来た。
豪州最初の電信線がメルボルンとウィリアムズタウンの間に1854年に敷設され、ビクトリア最初の地方紙であるウィリアムズタウン・クロニクル新聞が同年に創刊した。
1850年頃には、ビクトリア植民地の首都候補として、ジーロン市と共にメルボルンのライバルとして目されていた。



 1851年からのゴールドラッシュでは多くの移民がウィリアムズタウンに到着して一時的に栄えたが、金鉱山地区のバララットやベンディゴ、メルボルンに移民が移動して、ウィリアムズタウンの地位は相対的に下がっていった。
ウィリアムズタウン駅から徒歩5分のネルソンプレイスにある観光案内所を拠点に、半径500mにジェム桟橋、旧税関、旧ウィリアムズタウン郵便局(ビクトリア州で現存する最古の郵便局)、古い港湾の町並みなどの主な見どころや飲食店が集中している。

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