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キウ精神病院 Kew Lunatic Asylum  日豪プレス2021年3月号 No51

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マーベラス

2021年2月16日(火) (responsive版)
マーベラス・メルボルン21年4月号No51
キウ Kew
メルボルン Melbourne
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キウ・アサイラム精神病院
旧キウ・アサイラム精神病院は、19世紀では豪州最大の精神病院で、ビクトリア植民地では初めての目的型建築物であるが、当初の壮大な計画や理想とは違って、難しい数奇な経緯を辿ることになった。

撮影データ Canon EOS 5DMarkU シャッター速度AE 評価測光 絞りF16.0 1/125秒 ISO感度 100 露出補正-2/3 太陽光 JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM
2011年2月03日18:08 板屋雅博 撮影


1850年代、ビクトリア植民地のアサイラムは、既にどこも満杯状態であった。
当時、アサイラムは病院ではなく収容施設で、警察など行政の管轄下にあり、そもそも医者が不在で、舎監の監督下で収容されていた。
精神病患者の以外に、犯罪者、身体障碍者、売春婦、孤児、老齢者、認知症なども収容されており、つまり社会に受け入れられない人々を目立たない場所へ押し込む為の収容施設であった。かなり不衛生で収容者の扱いも酷いものであった。コバーグ刑務所(第46回参照)も設立当初は同じ状況であり、精神病院と刑務所は歴史的には同じ背景を持っており、Inmateが囚人と患者のふたつの意味を持つのもこの為である。
精神病の研究が進んだのは19世紀後半のドイツでであった。ヤラベンド・アサイラム(現感染症病院)は、建設後6年目であったが不衛生で、もともと軍用刑務所であったところを転用したカールトン・アサイラム(現カールトン小学校)は、荒廃していた。




 1854年に植民地政府は新しいアサイラムの建設を決めて場所の選定に入った。健康的、自由なアクセス、採光、新鮮な空気、水捌けなどが要望され、ゴールドラッシュの資金力を生かして、英国本国に対して植民地メルボルンの誇りを見せたいという思いもあり豪華な建築物がヤラ川河畔、ヤラベンドの高台に完成した。今でこそキウは高級住宅街だが、当時は原生林が生える人里離れた場所であった。



キウ・アサイラムは、30年代の英国ロンドンのハンウェル病院をモデルにE文字形状をした英国の学問的発想を取り入れた最新鋭の設計であった。
117年の歴史の中で、いくつもの奇怪な事件が新聞に報道されるなど悪評が絶えずあり、ロイヤル委員会の査問を数回受けている。最初の50年間は、超過密な収容、経営上の失敗、職員や物資の不足、劣悪な衛生と病気の発生などであった。後半は、時代遅れの施設や、施設管理状況は批判の対象となった。


 病院から逃げ出した場合に発見を容易にするため患者は病院服を着たが、囚人服とも呼べるものであった。アサイラムには、サンクチュアリーの意味があり、アサイラム・シーカー(難民)にも通じている。ロイヤル委員会の報告書に基づいて、1888年に精神病法が制定され、女性、孤児、犯罪者は分離されたが、精神病院と呼べる状態に改善されたのは20世紀に入ってからである。
1903年の精神病法によりアサイラムから精神病院へと名前が変更された。

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