2021年3月6日(土) (responsive版)
マーベラス・メルボルン21年5月号No52 ハードウェアレーン Hardware Lane メルボルン Melbourne
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メルボルン市内の通りは、ホドルグリッド(Hoddle Grid)と云って1837年に植民地政府調査官、ロバートホドル(RobartHoddle)によって設計された。南北、ヤラ川や土地の起伏の関係で、正確な東西南北方向に対して8度の傾斜を持っている。
撮影データ Canon EOS 5DMarkU シャッター速度AE 評価測光 絞りF8.0 1/250秒 ISO感度 125 露出補正 太陽光
JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM
2013年1月16日19:03 板屋雅博 撮影
バットマンヒルはシティの西端と定められた。ロバート・ホドル監督官は、バットマンズヒルを地籍測量の際の測量基準点として使用していた。ホドルの最初のメルボルンの測量地図は、1837年3月25日に完成している。フリンダース通りからロンズデール通りまでと、スペンサー通りからスプリング通りまでの現在のメルボルンシティとほぼ同じ区画だ。メルボルンの碁盤目状の道路区画をホドルグリッド(Hoddle
Grid)と言う。当時の距離の測り方は、チェーン(Chain)を巻尺代わりに使うやり方である。1チェーンは、20m。ホドルは、メルボルンのメインの通りを1.5チェーン(30m)、小さな通りを0.5チェーンとした。即ちフリンダース通り、コリンズ通り、バーク通り、ロンズデール通りは幅が30mである。フリンダースレーン、リトルコリンズ、リトルバーク、リトルロンズデールは、幅が10mだ。メインの通りは、一般の人が通る道とし、小さな通りは、業者などが積み下ろし作業をする通りとして作った。 ホドルの設計思想は、物流と消費活動をはっきりと分ける近代的なプランである。
ナイアガラレーン倉庫群は、エリザベス通りの倉庫業者ヘンリー・マークスが事業拡大の為に作った倉庫である。設計は、デラシー・エバンズ。アメリカ製ホイストクレーンを設置し、1階の床レベルを1mほど挙げて、商品の入荷出荷を用意にするなど数々の設計が施されている。ナイアガラレーンは、ロンズデール通りとリトルバーグ通りの間にあり南北方向にある小道である。ナイアガラの名前は、1900年代初頭にあったナイアガラビル(Niagara
buildings)という倉庫・店舗による。ナイアガラビルは、馬と馬車の時代からプーリーやフックなどの倉庫貯蔵システムに使用する部品類、小物類の倉庫兼販売店であった。
ナイアガラレーンには第一次大戦前の建物が並んでいる。ブルーストーンの石材で舗装されており、歩行者と小型車のみが入れる狭い小道である。ロンズデール通り側の西の端には、ナイアガラホテルがある。1870年代に作られたファサードは、1920年代に手を加えられている。
2階建てで全く同じ4つ倉庫は、1887年に建築された。施主は、ヘンリー・マークス(Henry Marks)、設計は、ジョージ・エバンズ(George
De Lacy Evans)、建築請負は、ダニエル・シンクレア(Daniel Sinclai)である。この倉庫は、レンガ耐力壁工法で作られている。ノースコットとプレストン産の白色レンガが帯状部分やアーチの部分に使用されている。オアマル(
Oamaru)産のクリーム色の石材がニューポート産のブルーストーンの土台の上に化粧材として使われている。1階のメインファサードの開口部には、部分アーチが使用されているが、2階部分には丸いアーチ屋根部分は、欄干を持つ切り妻でクイーンアン様式の特徴を備えている。内部のフロアは、タスマニア産のユーカリ材を使用している。天井は、木製板材が張られており、床から天井までの高さは、7mもある。
建物上部にはアメリカ製大型バレル(120リッター)ホイスト式クレーンが現存している。このバレルホイストは、他に現存がほとんどなく貴重なものである。一番低いフロアは半地下、1階部分は1mほど地上より高くなっている。これは荷台車が到着した際に、1階部分に荷物が水平に動かして、荷受出来る為である。
かつてこのような倉庫ウェアハウスはメルボルンにはたくさんあったが現存は少ない。倉庫にはロマネスク様式で設計されることが多いが、この建物ではクイーンアン様式とロマネスク様式が使われている。ファサードは、多色レンガを多用するなど、詳細に渡り複雑な装飾が施されており、本来は殺風景で機能性だけの倉庫の外観を一変させている。施主のヘンリー・マークス(Henry
Marks)は、家具用倉庫業者でエリザベス通り186-188番地に本社を置いていた。マークスは、事業拡大の為に新たな倉庫が必要になりナイアガラレーンに新設倉庫を建設した。アメリカ製大型バレル(120リッター)ホイスト式クレーン
建物の一番上の部分のひさしの部分に滑車がいくつか取り付けてあります。この滑車は、重量物を吊り上げるためのものです。京都の古い商家にも見られます。この建物は、1800年代後半には金属製の機材屋(Hardware
House)でした。当時、金属製品は、英国などからの輸入品で高価で貴重なものばかりでした。裕福な商人のお店だったのです。当時、ウィリアムピットは、メルボルンの民間建築では最も有名な建築家でした。そのウィリアムピットに設計を頼むほどの裕福な商人の倉庫でした。即ちこの機材倉庫こそが通りの名前であるハードウェアレーンの発祥なのです。
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