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マーベラスメルボルン

日豪プレス2月号 第6回 ゴールドラッシュ goldsrush

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2017年2月22日(木)
ゴールドラッシュ goldsrush
マーベラスメルボルン 
marvellous Melbourne
メルボルン Melbourne
日豪プレス 

ゴールドラッシュほどメルボルンの歴史にインパクトを与えた事象はないだろう。金融、経済、建築物、鉄道、文化などあらゆるものが発展した。人口は急増して大英帝国第二の都市となり、世界で最も富裕な都市といわれ、ついには豪州連邦最初の首都になった。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU絞り優先優先AE 評価測光 絞り 5.6 1/640秒 ISO感度100 露出補正 太陽光 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 2010年8月7日 11:53
撮影:板屋雅博

バララットの金鉱山

 1851年にメルボルンから100kmほど北部のビクトリア内陸部でゴールドラッシュが起こった。バララット、ベンディゴ、キャッスルメインなど、現在ゴールドフィールズと呼ばれる各地である。
原住民族アボリジニの人々は金塊を神聖なものとして触らなかった為、ヨーロッパからの
移民たちは金塊(Gold Nuggets)が地面に転がっているのを見て非常に驚いた。
特に採掘作業をするまでもなく地表に金塊が露出しており拾って回るだけで財産が築けた。

エチュウカの幌馬車
 

 ビクトリア植民地で金塊発見のニュースは世界中を駆け巡った。とは言っても電話も電信もないので帆船を経由してだが。ちょうど米国カリフォルニアのゴールドラッシュが終了期を迎えていたため、世界の目がビクトリアに集中した。
ビクトリアの金産出量は長年に渡って世界一を記録し、大半は英国へ輸入され、英国の莫大な赤字は一挙に解消された。最大の年は、1856年で95トンもの産出量があった。
世界中から一攫千金を狙ってやってきた荒くれ者の金鉱夫たちは簡単に盗賊団に変身して、輸送中の金塊をうばった。ブッシュレンジャーとして知られる悪党たちである。
何度も映画化される義賊ネッドケリーも後に出現した。

ベンディゴのシャムロック・ホテル(Shamrock Hotel)

 金塊輸送には軍隊による護送が必要になり、英国帝国駐留軍(後のビクトリア植民地軍)が増強され、軍本部もシドニーからメルボルンに移された。
ゴールドフィールズからメルボルンに持ち込まれた金塊は、植民地政府のトレジャリービルの地下倉庫に厳重に保管された。ゴールドラッシュによりメルボルンが英国の金塊の供給源として重要になるとともに、軍事的にも重要性が増した。
幹線道路が整備されメルボルンから10マイルの場所ごとに馬と人を休める宿場町(10マイルタウンズ)が作られ、ビクトリア各地への輸送網が一気に充実した。といっても馬と幌馬車によるもので道路も舗装されたものではない。

金鉱山への通過町で補給拠点であったカイネトン
 

 メルトン、バッカスマーシュ、カイネトン、ギズボンなど多数の10マイルタウンが作られた。金塊が川底などで採取できた時代は直ぐに終わり、英国から近代的な採掘技術が持ち込まれ、後の資源ビジネスへつながったが、金鉱山の労働環境は劣悪を極め、労働争議も頻発することになる。
メルボルン市内中央部にチャイナタウンが形成されたのもこのころである。金鉱夫として働く中国人の宿や飲食店、更には金鉱山で使用する用品店として発展を始めた。

ゴールドラッシュで栄えたキャッスルメイン

 
ゴールドラッシュ

victoria Australia

ビクトリア  Goldfields 昼のビル 
カイネトン Kyneton

 100マイルタウンズ

金塊を収容したトレジャリービル


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