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マーベラスメルボルン

日豪プレス2月号 第6回 ゴールドラッシュ goldsrush

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2016年11月22日(木)
マーベラスメルボルン marvellous Melbourne
メルボルン Melbourne
日豪プレス 

撮影データ Canon EOS 5D MarkU絞り優先優先AE 評価測光 絞り 10.0 1/125秒 ISO感度100 露出補正 太陽光 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 2009年9月5日 10:57
撮影:板屋雅博

ゴールドラッシュ

victoria Australia

ビクトリア  Goldfields 昼のビル 
カイネトン Kyneton

 100マイルタウンズ

 1851年にメルボルンから100kmほど北部のビクトリア内陸部でゴールドラッシュが起こった。バララット、ベンディゴ、キャッスルメインなど、現在ゴールドフィールズと呼ばれる各地である。
原住民族アボリジニの人々は金塊を神聖なものとして触らなかった為、ヨーロッパからの
移民たちは金塊(Gold Nuggets)が地面に転がっているのを見て非常に驚いた。
特に採掘作業をするまでもなく地表に金塊が露出しており拾って回るだけで財産が築けた。

 



 ビクトリア植民地で金塊発見のニュースは世界中を駆け巡った。とは言っても電話も電信もないので帆船を経由してだが。ちょうど米国カリフォルニアのゴールドラッシュが終了期を迎えていたため、世界の目がビクトリアに集中した。
ビクトリアの金産出量は長年に渡って世界一を記録し、大半は英国へ輸入され、英国の莫大な赤字は一挙に解消された。最大の年は、1856年で95トンもの産出量があった。
世界中から一攫千金を狙ってやってきた荒くれ者の金鉱夫たちは簡単に盗賊団に変身して、輸送中の金塊をうばった。ブッシュレンジャーとして知られる悪党たちである。
何度も映画化される義賊ネッドケリーも後に出現した。


 金塊輸送には軍隊による護送が必要になり、英国帝国駐留軍(後のビクトリア植民地軍)が増強され、軍本部もシドニーからメルボルンに移された。
ゴールドフィールズからメルボルンに持ち込まれた金塊は、植民地政府のトレジャリービルの地下倉庫に厳重に保管された。ゴールドラッシュによりメルボルンが英国の金塊の供給源として重要になるとともに、軍事的にも重要性が増した。
幹線道路が整備されメルボルンから10マイルの場所ごとに馬と人を休める宿場町(10マイルタウンズ)が作られ、ビクトリア各地への輸送網が一気に充実した。といっても馬と幌馬車によるもので道路も舗装されたものではない。


 

 メルトン、バッカスマーシュ、カイネトン、ギズボンなど多数の10マイルタウンが作られた。金塊が川底などで採取できた時代は直ぐに終わり、英国から近代的な採掘技術が持ち込まれ、後の資源ビジネスへつながったが、金鉱山の労働環境は劣悪を極め、労働争議も頻発することになる。
メルボルン市内中央部にチャイナタウンが形成されたのもこのころである。金鉱夫として働く中国人の宿や飲食店、更には金鉱山で使用する用品店として発展を始めた。


 

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