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マーベラスメルボルン

日豪プレス4月号 第9回 教会の建設 Construction of Church

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2017年4月20日(木)
教会の建設 Construction of Church
マーベラスメルボルン marvellous Melbourne
メルボルン Melbourne
日豪プレス 

1850年代ゴールドラッシュで人口が急膨張したメルボルンで市民が最初に始めたのは教会の建設であった。英国人は英国国教会アングリカン教会、アイルランド人はカトリック教会、ユダヤ人はシナゴーグ教会など、移民の出身地によって宗派も様々であった。 





 現存するメルボルン最古の教会は1842年の建築でアングリカンのセントジャームズ教会で、長く大聖堂であった。メルボルンでは数少ないゴールドラッシュ期以前の建築である。市内スワンストン通りに建つセントポール大聖堂は、1891年に建設され、セントジャームズ教会を受け継ぎ、現在までアングリカン派の大聖堂である。英国の教会本部が豪州最大の大聖堂建築を計画して、ロンドンの有名建築家に設計を依頼したが、メルボルンに一度も来なかったので、怒った植民地政府がメルボルンNO1の建築家ジョセフ・リードに設計をまかせた。



 セントポール大聖堂は13個の鐘を持っているが、それを許される格式ある大聖堂は英国本国を除けば、メルボルンだけである。毎週水曜日の夕方にこの13個の鐘はメルボルン市内に鳴り響く。アングリカン教会は、国王ヘンリー8世の時に王の離婚問題でローマ法王庁と争い、1536年にローマ教会から独立したが、政治的に分離したので、宗教上はほとんどローマ教会に似ている。
市内エリザベス通りのセントフランシス教会は1841年建設のメルボルン最古のカトリック大聖堂で、その後、イーストメルボルンのセントパトリック大聖堂に引き継がれた。セントパトリック大聖堂は1858年に建設を開始したが、ゴールドラッシュで労働者が金鉱山へ行ってしまうなど度々の中断があり、完成したのは1937年である。ゴールドラッシュの直前にアイルランドで大飢饉が発生し、大勢のアイルランド人がメルボルンに移民している。

 

 聖パトリックは、アイルランド人の守り神であり、3月17日の聖パトリックデーには、アイリッシュパブで、聖パトリックの象徴である緑の服を来てビールを飲むアイルランド人をたくさん見かける。聖パトリックが、死ぬ前に『命の雫を飲むように』と遺言を残したからと云われるが、アイルランド人は、聖人の命により堂々とビールが飲めることになった。
ユダヤ教のシナゴーグ教会もメルボルンにはいくつもあり、市内エキジビジョン通りにあるミクバ・イスラエルシナゴーグは1857年建築で現在ではレストランになっている。



 
ゴールドラッシュ期から多数の中国人も移民してきたが、中華街にはいくつもの中国系キリスト教会が建っている。人種差別的な迫害に遭ってきた中国人たちはキリスト教化して豪州への同化を図ってきたのである。 
 
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