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陽気な杖降り師 Cheery Tapping Man

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2008年8月10日(日)
陽気な杖降り師 Cheery Tapping Man
ヘイグチョコレート Haigh's Chocolate
ブロックアーケード Block Arcade
メルボルン Melbourne
この場所の地図Google Map

今朝のビクトリア州は、この12年で最も寒い朝を迎えました。スキー場や高地では雪が降り積もっています。メルボルンでは、最低気温が3度、日中でも10度以下という厳しい寒さでした。

昨年の今日2007年8月10日(ハードウェアレーン07

陽気な杖降り師 The Tapping Man

ヘイグチョコレートはアルフレッドヘイグ(Alfred Haigh)によって南オーストラリア州アデレードに1915年(第一次世界大戦勃発の翌年)に設立されました。アルフレッドヘイグは、1877年にアデレードに生まれてスイスのリンツ社でチョコレートの製法を学んでいます。
最初は、ビクトリア州のマウントガンビア(Mount GAmbier)で開業しその後、アデレードの中心地Rundle Streetに移転して大きく成功を収めました。

Haigh's Chocolate公式Web

 陽気な杖降り師 The Tapping Man Cheery Tapping Man (トップ画像)

1930年代に作られた仕掛け人形です。
スワンストン通りのL P Alexander'sというお店のショーウィンドーに置いてあり、1970年代まで40年間に渡り、スワンストン通りの街を歩く買い物客や子供たちを楽しませていました。しかし1970年代に盗まれてしまいました。その後、シドニーのゴミ箱に破壊された状態で発見されました。非常に大きなダメージをおっていましたが、関係者の努力によりからくり機構、服装などが完全に修復されました。豪州ナショナルトラスト(National Trust, Australia)に寄贈されましたが、更にヘイグチョコレートに管理が委託され、現在にいたっています。

現在ではヘイグチョコレートがスポンサーして、昔ながらにタッピングを続けています。


  チョコレートは、中南米原産のカカオを主原料としています。最も古いチョコレートの記録は、中米のマヤ・アステカ時代です。
歴史上、チョコレートは固体ではなく液体の飲み物でした。初期のチョコレートは、発酵させて酒として飲んでいました。マヤ時代には、カカオは、至るところに栽培されており生産量もかなりの量に上っています。ホンジュラス、グアテマラ、メキシコなどの遺跡で発掘されています。
1500年代にスペインなどの中南米への侵略が始まり、初めてチョコレートがヨーロッパへもたらされます。絶対王制のヨーロッパの王族貴族の間で爆発的に人気となりました。スペインの中南米への侵略も激しくなり、マヤ・アステカは、チョコレートのために滅びたと云っても過言ではありません。


 ブロックプレイス横丁側に新しく増設され店舗。

1657年に最初のチョコレート専門店がロンドンに出来ました。
1689年に医者の英国のHans Sloansが薬としてミルクチョコレートを開発しました。
その後、ミルクチョコレートの製法は、カドベリー兄弟(Cadbury)に売却されました。ミルクチョコレートによってカドベリーは、世界一のチョコレート会社になっています。

カドベリー公式Web

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