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リトルバークと中華街トップ 追加画像

春節 中国正月

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2008年2月10日(日)13:00
春節 中国正月
中華街 China Town
Littel Bourke Street
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

春節のお祭りを祝うように、今日は快晴になりました。不思議とメルボルンは、イベントの日には快晴のことが多いようです。気温は、23度ほどです。

昨年の今日2007年2月10日(ポーランドデー Poland day)


 獅子舞。
中国人の移民は、1951年に始まったゴールドラッシュにさかのぼります。同じイギリスの植民地であった香港から主に広州人がやってきました。労働者としてなので、大半が若い男性でした。初期の段階からこのリトルバーク通りに中国人が集まり、金鉱探しに必要な物資を供給しました。当然、宿屋が出来、中華料理屋が出来、チャイナタウンを形成していったのです。1860年代には、中国の各地方の同郷会が土地を買って会館を建設しました。金鉱脈が枯渇してゴールドラッシュが終わった後も中国へ帰らず、リトルバークに段々と集まって中国人社会が発展していったのです。農家の作業員、食料品店、輸出入商社、クリーニング屋、家具屋、薬屋など多種多様な業種を営んでいきました。中国式の道教、仏教なども定着しました。春節のお祭りもビクトリア州で最大のものとなりました。

 激しい爆竹の音が中華街の町中に鳴り響きます。
1850年代後半には、ビクトリア植民地政府によって中国人には移民規制がかけられました。しかしその後も増え続け、1861年の時点で、中国人はメルボルンの人口の7%を占める一大勢力でした。1901年には、白豪主義(White Australian Policy)の法律(Immigration Restraction Act)が成立します。ヨーロッパ系以外の移民を規制したのですが、一番のターゲットは中国人でした。メルボルンの中国人社会は、激しく豪州政府に抗議をしました。1970年代になって白豪主義の法律は撤廃されました。

1880年代の中華街と中華門
スワントン通りとリトルバークの交差点です。

 中国式の爆竹は、2mほども連なっていて、各家々や、お店の軒先に吊り下げて着火します。5分間ほども激しい音で鳴り響きます。豪華な山車が練り歩き、大量の爆竹が中華街の町中に響きます。メルボルンに於ける中国のパワーを象徴する中華街の正月です。特に今年は、北京オリンピックが行われます。盛り上がりは最高潮です。

中国人は、勤勉な性格とビジネスへの熱心な姿勢でメルボルンの社会では重要なポジションを占めています。香港生まれのジョンソー メルボルン市長を始めてとして、産業界で多くの人が活躍しています。

 ラッセル通りを練り歩く山車。
ドラゴンや、いろんな山車が練り歩きます。中華街周辺は、通行止めになっています。



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