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ラム酒とセクションエイト

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2008年6月14日(土)午後2時半
ラム酒  Rum
セクションエイト Section 8
Tattersalls lane
チャイナタウン Chinatown
リトルバーク通り Little Bourke
メルボルン Melbourne 
この場所の地図 Google Map

今日のメルボルンは、東の風で、午前中は曇りがちな晴れでした。午後からは雲が多くなり完全にくもりの天気となりました。午後、4時にはかなり暗くなっています。最高気温で12度ほどで、段々と冬も本番になってきました。

昨年の今日2007年6月14日(プラーンマーケット正面玄関

  オーストラリアと酒類は、切り離せない関係で1870年のキャプテンクックによる南太平洋の航海とシドニー湾の上陸の際にも、旗艦エンデバー号にビールが積まれていました。シドニー、ボタニー湾上陸の際にも祝い酒としてビールを飲んだことでしょう。
1788年のアーサーフィリップ船長の最初の囚人移民団のシリウス号を旗艦とする船団にもワインやワインの木が積み込まれていました。
未開の地であったオーストラリアに移民するにはアルコールは必要不可欠のものでした。

 現在ではビールとワインがオーストラリアのアルコール消費の主流ですが、移民の最初からそうだった訳ではありません。
囚人移民団による最初に好まれたアルコールは、ラム種です。西インド諸島原産のサトウキビを原料とした蒸留酒です。1600年代に英国が占領して植民地化したバルバドス(英国連邦国家)からラム酒の製法を取り入れています。1700年代には、英国海軍の正規補給品に取り入れられています。1805年のトラファルガー海戦で戦死したネルソン提督の遺体をラム酒に漬けて英国へ運んだ為に、ラム酒のことを『ネルソンの血』と呼びます。
メルボルンのコリンウッドに名を残すコリンウッド提督は、ネルソン提督の副官です。

セイフウェイ参照

 比較的製造は、簡単ではあったもののその貴重価値から、ラム酒は、移民開始当時のシドニーでは、貨幣として通用しました。
1808年には、当時のNSW植民地総督であったウィリアムブライ(William Bigh)がラム酒の取引を制限しようと試みましたが、逆に植民地軍部によるクーデターにより追放されるラム酒の反乱(Rum Rebellion)という事件まで起きています。
豪州政府Web参照

現在、オーストラリアで最も飲まれているのは、ラガービールです。しかしオーストラリアで最初に作られたビールは、エールビールです。ラガービールが始めて生産されるのは、1885年のことです。
ビールは、農民などがそれぞれで作っており正確な記録は残っていません。
オーストラリア最古のビールメーカーは、タスマニアのカスケード(Cascade)です。1824年にPeter Degravesによって始められています。

 Section 8 公式Web

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