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チャイナタウントップ

イングランド・ミッション教会 English Mission Church

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2013年11月26日(火)
イングランド・ミッション教会
English Mission Church
リトルバーグ通り Littlg Bourke Street
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

チャイナタウンの中央部にレンガ造りの輪郭がはっきりしたゴシック様式の建物がある。イングランド・ミッション教会だ。メルボルン中華街の大物宣教師CHEONG CHEOK HONGによって造られた2番目の教会である。


撮影データ Canon EOS 5D シャッター速度優先AE 評価測光 絞り 16.0 1/80秒 ISO感度100 露出補正-1/3 オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2011年1月3日 

イングランド・ミッション教会
English Mission Church of Epiphany
住所:119-125 Little Bourke Street
建築年:1902年
建築様式:ゴシック・リバイバル
建築家:ナーハム・バーネット Nahum Barnet
施主:CHEONG CHEOK HONG
内部に礼拝堂チャペルと学生の勉強室を備えている。特にアーチ型をしたゴシック窓が印象的である。
場所は、右側に見えるラッセル通りからエキジビジョン通りへと向かう右側にある。すぐ左側にはやはりCHEONG CHEOK HONGが施主で先に建てられたキリスト教伝道教会が直ぐ斜め前にある。

Church of England Mission Hall

一階は中華料理店
Orchids Garden
119 Little Bourke Street
Phone(03) 9662 3591

 設計は、当時、メルボルンの著名建築家であったナーハム・バーネット。バーネットは、1902年に中国人の為の宣教チャペルと学生ホールを建設する入札に参加した。この教会は、メルボルン中国人社会の大物、Cheong Cheok Hongによって建設され、経営された。現在でも英国教会の一派で、聖公会顕現堂(Anglicans Chinese Mission of the Epiphany)と云う。Cheong Cheok Hongは、中国広東に生まれ、中国人金鉱夫の息子として1850年代にバララットに移民してきた。Cheongは、1863年にメルボルンへ移動し、スコッチカレッジ、メルボルン大学で学んだ。1873年にフィッツロイのナピア通りにあるプレスビテリアン派(長老派)教会に入門。Cheongは、一時期、実業界へ転身し、十分な実力を蓄え、1885年にアングリカン教会へと移籍した。ビクトリア植民地中の中国系の尊敬を集めるようになり、また資金もCheongのもとに集まった。チャイナタウンに最初の中国系アングリカン教会Church of England Mission Halと中国人宣教師の為の教育センターlを1894年に建設し、ビクトリア宣教師協会へ寄付した。

 
 1900年頃、Cheongはビクトリア宣教師協会と関係が悪化して協会から離脱した。しかしCheongを押す多くの支持者が集まり、Cheongと共にラッセル通りの教会を設立し、最初の総会には800名を超す賛同者が集まった。Cheongは再度、ファンドを募り、その資金でイングランド・ミッション教会English Mission Church of Epiphanyが1902年に建設された。1904年には英国国教会に承認され、この教会の長たる牧師には、Cheongの息子のジェイムズが就任した。その後、ビクトリア大司教がこの教会をChurch of England Chinese Mission of the Epiphanyに変えている。



  Cheongは、麻薬撲滅運動でも活躍している。当時のメルボルンでは、麻薬(Opium)は合法であった。一時、麻薬輸入販売及び使用禁止法が国会を通過したが、立法委員会の強硬な反対によって廃案となった。1905年にCheongは二度目の反麻薬キャンペーンを展開し、ついに麻薬販売使用禁止法がビクトリア州で成立した。Cheongはそのため、英国まで出向き、Exeter Hall やウェストミンスター国会宴席場で演説を行っている。


VHD

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