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 ナンポンスーン協会ビル Num Pon Soon

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2017年3月26日(日)
Num Pon Soon
ナンポンスーン協会ビル
リトルバーグ通り Littlg Bourke Street
メルボルン Melbourne
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チャイナタウン中心部にあるナンポンスーン協会ビルは、ゴールドラッシュ期に一流の建築家によって建てられた名建築であるが、同時期にメルボルンにやってきた中国からの移民のクラブハウスであり、礼拝所もあることから、宗教的、商業的互助会であり、宿泊所でもあった。中国人社会の中心部であった。豪州で最も古い中国礼拝所である。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 絞りF8.0 1/125秒 ISO感度 100 露出補正 +1/3 オートJPG レンズ EF 24-70 mm f/2.8L USM  2017年1月19日9:16 板屋雅博撮影


Num Pon Soon
ナンポンスーン協会ビル
住所:200-202 Little Bourke Street
建築家:J. G. Knight、Peter Kerr 共にビクトリア植民地公共建築局
建築様式:クラシカル
建築年:1860年ー61年
施主:Num Pon Soon協会
目的:クラブハウス、店舗
階数:2階建て
ナンポンスーン協会ビルの一階は玄武岩礎石の上に建てられており、建築当初は、1本のドーリア式の柱あったが、その後、取り外された。

同じ時期のナイトとカーの設計では1856年の州議事堂一期工事があるが、その縮小版とも云える作品である。

ビクトリア州議会議事堂

Michveh Yisrael Synagogue

 ナンポンスーン協会ビルは、二階建て化粧しっくいレンガ造り建物で1861年の建築である。設計は、メルボルンの著名な建築家Knight and Ker事務所である。ナンポンスーンは、サムユップ会のクラブハウスとして建てられた。サムユップとは中国広東省のNum Hoi、 Pon Yu、Soon Duc3つの地区出身者の互助会で後にNum Pon Soon Societyとして知られるようになった。ナンポンスーン協会クラブハウスは、同会会員の寄付と特に富裕な商人で中国人社会の中心的人物であるLowe Kong Mengの寄付で建てられた。


  Lowe Kong Mengは、ナンポンスーン地区の出身ではなかったが、中国人のいろいろな組織で主要な役職を担っていた。Lowe Kong Mengは英語も堪能で中国人社会だけでなく、広くメルボルン社会でも活躍していた。Lowe Kong Mengは、ナンポンスーン協会ビル建築の組織を作るだけでなく財政面や法律面も担当した。

1850年代のゴールドラッシュ期に多くの中国人がビクトリアにやってきた。その中で多数を占めたのが、広東省のカントンデルタ地帯からの若い男性であった。経済的な困窮と中国政治の混乱により家族を中国に残して移民してきたので、成功して中国へ帰ることを夢見ていた。多くの共済会が出身地、親族、ビジネスなどでメルボルンの中国人社会の中で形成され、宿屋、信仰、面会所の場所を提供した。



 建物の一階部分は、店舗として貸し出された。2階の表側の部屋は、中国の宗教である道教の礼拝室であり、先祖を敬うための祭壇や各種道教儀礼用品や家具なども設けられていた。
2階部分には寝室や台所、食事室などの生活スペースもあった。3階は、宿所となっていた。

ナンポンスーン協会ビルは、メルボルン初期の時代の中国人の礼拝所として、またアジア以外の地区では最も古い道教礼拝所である。メルボルンで最も古い中国人のクラブハウス(集会所)である。1850年代以降、多くの中国人が金産出地区に行ったが、メルボルンの中華街に重要な関係あった。リトルバーグ通りは中華街として発展した。ナンポンスーン協会ビルが礼拝所を持っていたことは、メルボルンの中国人社会における道教の普及などの意義も理解できる。




 

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 Robe Chinese Monument


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