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マンチェスターユニティービルディング

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2007年6月5日(火)
マンチェスターユニティービルディング
Manchester Unity Building
コリンズ通り(Collins Street)とスワンストン通り(Swanston Street)の交差点の北西角
メルボルン Melbourne
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今日も雲は結構たくさん出ていましたが、全体としては良い天気でした。年中、肌寒いメルボルンですが、5月の平均気温は、この17年で一番の暖かさを記録しています。温暖化の影響がメルボルンにも忍び寄っています。

昨日までの画像 

昨年の今日 2006年6月5日

  マンチェスターユニティービルディング
Manchester Unity Building
コリンズ通り(Collins Street)とスワンストン通り(Swanston Street)(の交差点の北西角 
右側は、スワンストン通りを北へ向かってます。マンチェスターユニティービルは、目抜き通りの真ん中に立っておりなかなかに目立つビルです。1932年の建築です。建築スタイルはアールデコ(Art-Deco)スタイルです。高さは66mあります。1932年当時ではメルボルンで最も高いビルディングでした。建設当初は、メルボルンの建築物は、40.2mの高さ制限がありました。その後、追加建築された中央部のタワーの部分は、25.3mです。建築制限は、人が入居しているフロアという条件があったため、タワーの部分には、部屋などはありません。

 マンチェスタービルディングは、建築家マーカスバーロー(Marcus Barlow)の作品です。1922年のRaymond Hoodのシカゴトリビューンタワーでの受賞作品をベースに設計しました。大きく分けると、アールデコの時代ですが、建築美術史的には、ネオゴシック又はふたつの大戦の間であり、戦争中間期(Inter-war)に分類されます。

左側は、セントポール大聖堂

 正面から入った場所に設置してあるエスカレーターは、メルボルンで最初のものです。エレベーターも非常に金がかかったもので一見の価値があります。玄関ホールの天井は壁、床の装飾は、真珠貝と金属を多用し、モザイクの埋め込んだ非常に凝ったものです。
3台の当時、最速の高速エレベーターが3台あり、その為に専用ディーゼル発電機が設置されました。これも豪州で初めてのことです。

アールデコは、アメリカの近代資本主義の伸張と共に発展した芸術です。アールデコの特徴である直線を多様する設計が特徴です。ニューヨーク、シカゴの摩天楼、フォード、GM、クライスラーの大型車に代表されます。マンチェスターユニティビルもアメリカで当時流行したアールデコの影響をそのまま受け継いだ作品です。この時代は、メルボルンの景気は、最悪の状態でした。既にゴールドラッシュやメルボルンが首都であった時代は遠い昔に去っています。1929年に起こった世界恐慌の影響をメルボルンももろに受けていました。その大恐慌の真っ只中に完成したことが実は意義深い点です。1日8時間、3交代で建築が進みました。直接雇用だけで1500名が従事しました。

アールデコ:アスター劇場参照

左側は、コリンズ通りを西へ向かっています。1932年12月12日に完成セレモニーを行いました。後の首相Stanley Argyleによってオープニングが宣言されました。大不況の暗い時代でしたが、メルボルンに新しいの到来を人々に刻んだのです。

セレモニーからメルボルンの人々がこのアメリカの影響を強く受けたビルを訪問し、素晴らしい内装、エスカレーターなどを楽しみました。屋上には人口の庭園が作られ、椰子の木、日本のかえで、花壇が作られカフェもありました。
玄関ホールの横にメルボルンでは珍しくマンチェスターユニティビルの建設の由来が記してあります。1975年にはビクトリア州遺産に登録されています。
豪州文化遺産

右のメルボルンタウンホールと共に。
メルボルンを象徴する建物のひとつです。

マンチェスターユニティは、その後、合併を行い現在のAustrarialn Unity(保険会社)になっています。

Marvellous Melbourne

RMIT大学資料

Emporis Building

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