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@コリンズ通り

キャンベル家住居 Campbell Residence

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2012年8月13日(月)
キャンベル家住居 The Former Campbell Residence
コリンズ通り とスプリング通りの交差点
Collins Street and Spring Street
メルボルン Melbourne
この地区の地図Googole Map

コリンズ通りの一番東側、スプリング通りとの交差点は、メルボルン市内でも超一等地。実業家ウィリアムキャンベルの居宅として建築されたが、その後は、連邦政府首相事務所として使われるなど、メルボルンの経済、政治を知る上では、重要な建物である。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 絞りF9.0 1/200秒 ISO感度 100 露出補正 太陽光 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2011年1月2日 板屋雅博 撮影


 キャンベル家住居 The Former Campbell Residence
住所:コリンズ通り 1-9
No1-9 Collins Street
スプリング通り 61, 61 Spring
建築年:1875年
建築期:ビクトリアン
建築家: Leonard Terry
建築様式:ルネッサンスリバイバル

キャンベル家住居は、スプリング通り側とコリンズ通り側に連続している。2階部分の鋳物製の出窓装飾など植民地ジョージアンスタイルを持ち、格式高さを強調している。

Victorian Heritage Register (VHR) Number: H1945
Listing Authority: VHR
Heritage Overlay Number: HO738


 この建物は、著名な農業ビジネス富豪ウィリアム・キャンベル(1810-1896)の居宅として建築された。構造材にレンガを使い、表面はセメントで化粧している。建築当時は、スプリング通りに沿って、フリンダース通り側へ4階建ての棟があったが、1975年に高層ビル建築の為に取り壊されている。現存の2階建ての建物には、居宅の主要な部分が残されている。キャンベル家がビクトリア植民地を1882年に去った後は、一時的、ウィリアム・マクロウチ(William MacCulloch)が借りていた。マクロウチは、ギップスランドなどメルボルンの東部地区の立法議員を1880年から1903年まで務めた政治家、実業家であった。その後、著名な農業ビジネス事業家カーンサイド家が借りていた。カーンサイド一族は、ウェリビーマンションのオーナー一族。1887年から1903年までは、耳鼻科眼科の医者が所有していた。

コリンズ通りとスプリング通りの角の部分。

1901年にオーストラリアが英国から独立し、豪州連邦政府がメルボルンに置かれると、議事堂からすぐそばという場所から、豪州連邦政府がキャンベル家住居を購入し、大臣事務所、政府事務所として使用。1901年から1912年までは、初代から8代までの連邦政府首相が事務所として使用した。その後も1920年代にキャンベラの新首都へ移動するまで連邦政府事務所として利用された。建物内部は、建築当時のデザインや使い方を保っている。大きなエントランスホールや鋳物製の部材を持った主階段なども良い状態である。

屋根のデザインは、スプリング通りの向かい側にある財務省ビルに似たデザインを採用。ファサードデザインは、コリンズ通り側にあるメルボルンクラブのデザインに似せてあり、近隣との調和を図っている。

  左側の建物は、旧財務省ビル(Old Treasury Building)。スプリング通りから東側は、政府関係のビルが立ち並ぶ。シティ側には、政府関係者や法律家、医者など上流階級の人々の事務所や住居が並ぶ。

ウィリアム・キャンベルだが、1838年にスコットランドからシドニーへ移住。4年後にメルボルンへ150頭のメリノ種の羊と共に移動してきた。キャンベルは、その後、農業ビジネスを中心に、金融、株式、鉱業など幅広いビジネスで成功し、オーストラリアでの成功した実業家として知られた。金鉱山を最初に発見したが、農業に悪影響を及ぼすから隠していたと主張している。莫大な財産に対して政府が税金をかけた為に、政府と対立。ついに1882年にメルボルンを後にしてロンドンへ戻った。その後も弁護士を通じてオーストラリアの財産を動かして、大きな影響力を持っていた。

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