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今日の一枚

コリンズ通り@

ハーレーハウス Harley House

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2014年11月24日(月)
ハーレーハウス Harley House
コリンズ通りとエキジビジョン通りの交差点南西
Corner of Collins & Exhibition Streets
メルボルン Melbourne
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コリンズ通りとエキジビジョン通りの交差点にNAB銀行のATMと支店が入居しているビルがハーレーハウスである。コリンズ通りの重厚なビルの一角を占めている。パリスエンドと呼ばれた高級事務所が集まる地区のひとつで医者がクリニックを開くビルとして建設された。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/160 F7.1 ISO感度 200 オート 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2013年1月15日17:56 板屋雅博撮影

ハーレーハウス Harley House
住所:71-73 Collins
建築年:1923年
建築目的:事務所 (医科クリニック)
現在の用途:事務所
建築期:両大戦期 Interwar
建築様式:パラツオ Palazzzo
建築家: Sydney Smith, Ogg & Serpell
階数:6階

Walking Melbourne



White Hat

 コリンズ通りのこの地区は、シドニーのNEW植民地政府ビクトリア支局によって1838年に一般販売が行われた際に第7ブロックの11部分として売り出され、GW Coleという人物が購入した。1840年に建設用地として平地にされた。1888年には二つの2階建の建物が立っており、医者が住んでいた。1905年には同じふたつ建物に医者と歯医者が住んでいた。
1923年にメルボルンの富裕層の高級医者、歯医者の入居を意図してハーレーハウスが建てられた。ハーレーハウスの名前はロンドンのハーレー通りに由来する。コリンズ通りは1800年代後半からメルボルンの政治家、弁護士、医者など名士、著名人、富裕層が集まる場所として隆盛を誇っていた。シドニーではマックオーリー通りが同様の通りとして知られている。



 ハーレーハウスの名前はロンドンのハーレー通りを意識しており、コリンズ通りの中でも高級な医者を集めるブランド化の意図があった。家賃もかなり高く、高給取りの医者だけが入居が可能であった。高い診療費を払える富裕層、政治家、弁護士などが患者として集まってきた。建物はジョージアンリバイバル様式で建てられており、当時のメルボルンの流行の様式であった。近隣のオーストラリア銀行、アテナウム劇場なども同様の様式である。


コリンズ通りB

ハーレーハウス地階にある南米ペルー料理店
La Chinesca

 母国英国ロンドンのハーレイ通り(Harley)は、多くの医院が歴史的に集まっている。ハーレイ通りだが、1860には20名の医師がいたが、1900年には80名、1914年には200名の医師が医院を開いていた。その後も拡大を続け1948年には1500名になり、現在では3000名に達している。名実ともにロンドンの病院の中心地となっている。

Harley Street

 古く重厚な建物が並ぶメルボルンの都心部だが、世界の有名店が入居を始めた。
日本のダイソーが既に数店舗をメルボルンの中心部で開店している。ハーレーハウスにもエルメス社が2014年7月から入居している。

The Age


Sydney Smith, Ogg & Serpellの作品

ポートオーソリティビル Port Authority Building

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