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デグレイブス通り

ウィリアム・デグレイブス William Degraves

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2013年4月3日(水)
ウィリアム・デグレイブス
William Degraves
デグレイブス通り Degraves Street
メルボルン Melbourne 
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メルボルンの観光名所のひとつに、デグレイブス横町がある。フリンダース駅の真ん前に位置し、判りやすい場所にある。デグレイブス通りは英国からの移民、ウィリアム・デグレイブスに由来する。ウィリアム・デグレイブスの歴史を辿ってみる。

撮影データ Canon EOS 40D  絞り優先AE 評価測光 1/1000 F2.8 ISO感度 400 太陽光 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2009年1月8日11:11 板屋雅博撮影

ウィリアム・デグレイブス 
William Degraves
生まれ:1821年 英国イングランド
没年:1883年 タスマニア ホバート

タイトル
■牛、羊のブリーダー
■会社社長
■製粉業r
■金のブローカー
■牧畜業 牛、羊、その他家畜
■地主
■上院議員
■羊毛ブリーダー

正面の建物は、マジョルカビル。
マジョルカビル


 ウィリアム・デグレイブスは、英国イングランドで生まれた。両親と兄チャールズとホバートに移民。父は、製粉業者。1849年27歳の時に、メルボルンへやってきた。メルボルンが出来て14年目、ようやく町から市へ移行する活気がある時期であり、またゴールドラッシュ前の絶好の時期でもあった。デグレイブス兄弟は、2000ポンドでフリンダースレーンと現在のデグレイブス通りの1エーカー((1300坪)の土地を買った。この土地にでグレーブス兄弟は、ゴールドラッシュが始まる1851年に10000ポンドを投資して製粉工場を建てた。左の写真の右側の建物がある場所である。また直ぐ目の前に出来るオーストラリア最初の鉄道、フリンダース駅ーポートメルボルン線のホブソンズベイ鉄道会社の取締役にもなった。金と羊毛の輸出業者、バイヤーとして、ウィリアムは優れた商人となった。

 ウィリアムは、ゴールドラッシュの成功者のひとりとなった。1865年にフリンダース通りとラッセル通りの交差点に8000ポンドを払って1エーカーの土地を買い、メルボルンでは最も早い3階建ての保税倉庫を建設した。ウィリアムの自宅は、コリンズ通り182番地にあり、他にもいくつかの邸宅を保有した。ウィリアム・デグレイブス商会の主な事業はメルボルンにあったが、Sandhurst, Malmsbury, Kynetonに製粉工場を持ち、主な鉄道駅には倉庫を持っていた。ウィリアムは、ユニオン銀行の取締役でもあった。輸送基地のオーナーや土地投機家としても有名であった。1860年代には、オーストラリアの羊と牛の育種家ブリーダーとしても有名であった。1867年のパリ万博では羊毛の展示をしている。1871年に結成されたビクトリア国家農業協会の初代会長を務めた。

  1870年代からは、メルボルンの主要な政界、経済委員会のメンバーや役職を務めている。ウィリアムはビジネスマンではなく開拓者であると思っていた。1875年に引退して出身地のタスマニアへ帰り1883年に亡くなっている。
ウィリアムの兄チャールズは1874年に没している。

カイネトンのデグレイブス製粉工場

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