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セントポールアングリカン大聖堂 St Pauls Anglican Cathedral

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2013年7月18日(木)
セントポール大聖堂
St Paul Cathedral
フリンダース通り(Flinders Street)とスワンストン(Swanston Street)の交差点
メルボルン Melbourne 
この場所の地図 Google Map (航空写真)

メルボルンの中心地に立つセントポール大聖堂はメルボルンの象徴のひとつ。大聖堂としてはカトリックののセントパトリックと並んで、メルボルンの守り神とされる。

撮影データ Canon EOS 30D 絞り優先AE 評価測光 絞りF9.0 1/125秒 ISO感度 100 露出補正 太陽光 JPG レンズ EF-S17-85mm f/4-5.6 IS USM 2007年12月2日8:24 板屋雅博 撮影

セントポール大聖堂
St Paul Cathedra
場所: スワンストン通り Swanston Street
l建築年:1891年   
設計:ウィリアム バターフィールド William Butterfield ジョセフリード Joseph Reed
1912年 Walter Butler (内陣)
1926年−31年 James Barr (尖塔)
建築時代:ビクトリア Victoria
建築様式:ネオゴシック Neo Gothic
登録:ビクトリア州遺産 Victorian Heritage Register


セントポールカテドラルは、アングリカン教会のビクトリア州メルボルン大司教管区(Archdiocese)のカテドラル(大聖堂)。カテドラルの最高聖職者は、大司教(archbishop)。ローマカトリック教会の大聖堂は、イーストメルボルンにあるセントパトリック大聖堂。1986年には、当時のローマ法王ヨハネパウロ二世(John Paul U)がセントポール大聖堂を訪問して、ローマカトリック教会との融和を図っている。

1835年8月30日にメルボルンの最初の定住者を乗せた船『エンタープライズ号』がタスマニア(当時は、バンディーメンズランド)のジョージタウンからやってきました。ヤラ川を遡って、現在のエンタープライズ公園に定住を開始した。その数週間後に、大聖堂が立つ場所でメルボルン最初のキリスト教の礼拝が行われた。英国国教会であるアングリカン(Church of England)である。その後この場所は、市場になっていた。1848年にセントポールParish 教会がメルボルン産出の石材であるブルーストーンにてこの地に建設された。1885年にセントポールParish 教会は、解体され、新しい大聖堂の建設が始まった。1841年からセントポールカテドラルが完成するまではセントジェームズカテドラルが大聖堂の地位にあった。

 セントジェームズ教会

 セントポールカテドラルは、伝統的なゴシックと一部、英国ゴシックを調和したネオゴシック様式の作品。最初の設計は、教会建築で有名な英国の建築家ウィリアム バターフィールド。カテドラルの礎石は、1880年に置かれた。ウィリアム バターフィールドは、一度もメルボルンを訪問することなくロンドンから指示を送っていた。当時は、主な通信手段は、船で手紙の交換すること。バターフィールドとメルボルンのアングリカン教会関係者の間で、度々、意見の食い違いが起こり、工事は大幅に遅れた。結局、1884年にバターフィールドは辞任して工事は中断した。当時、メルボルンでNo1の建築家であったジョセフリードが後を受け継いで、1891年1月22日に完成させた。

 

尖塔は、シドニーの James Barrが1926年から31年にかけて完成させた。パイプオルガンは、英国から輸入されたもので、1800年代のオルガン製作者としては最高と言われているT.C.Lewisの現存する最高傑作であると云われている。セントポールカテドラルは、13個の鐘を持っているが、それを許される格式ある大聖堂は英国本国を除けば、メルボルンだけ。毎週水曜日の夕方にこの13個の鐘はメルボルンの市内に鳴り響く。アングリカン教会(イギリス国教会)は、国王ヘンリー8世の時に王の離婚問題でローマ法王庁と争い、1536年(日本は戦国時代)にローマ教会から独立。政治的にローマ教会から分離したので、宗教上はほとんどローマ教会(Roman Catholic)に似ている。

 セントポール大聖堂修道院 
St Paul Chaper House
建築年:1891年   
場所: 179 Flinders Lane
地図:Google Map
設計:William Butterfield ジョセフリード Joseph Reed
建築時代:ビクトリア Victorian
建築様式:ネオゴシック Neo Gothic
登録:豪州ナショナルトラスト National Trust of Australia,
ビクトリア州遺産 Victorian Heritage Register

 セントポールカテドラルは、NSWから輸入したサンドストーン砂岩を使用している。ビクトリア時代のメルボルンのほとんどの格式ある建築物は、ビクトリア産のブルーストーンを使用しているので、NSW産の砂岩は珍しい。これは設計者のバターフィールドが、メルボルンに一度も着たことが無いという事情による。ブルーストーンは、格式と威厳を見るものに抱かせる一方で、冷たい感じを持たせる。サンドストーンは、赤みを帯びた色調であり柔らかさを与える。メルボルンにはふたつの大聖堂がある。シティの北東部に位置するローマンカトリックカテドラルは、威厳あるブルーストーンで出来ており、中央南部に位置するアングリカンカテドラルは、柔らかなサンドストーンで出来ている。予期せぬ事態から起こったことだが、対照的なふたつの大聖堂である。

セントパトリック大聖堂

 ムーアハウスタワー Moorehouse Tower
ムーアハウスタワーは、アングリカン教会としては世界で2番目に高い塔である。この塔は、大聖堂本体の建築から30年後の1926年−31年にシドニーの James Barrによって設計された。同じNSWの砂岩を使用していますが、材質が異なるために大聖堂本体との色合いが違う。これも地元の建築家を使わず、シドニー在住の建築家を使った為と云われている。

 ジョセフリードの作品 
 

ジョセフ・リード



PL75 St Pauls Anglican Cathedral
 公式Web    Wikipedia

 Walking Melbourne   Walking Melbourne Forum

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Joseph Reed:豪州伝記集 Wikipedea Walking Melbourne

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