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オマーン Oman

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2008年4月19日(土)
オマーン Oman
Sultanate of Oman
フェデレーションスクエア
Federation Square
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

今日のメルボルンは、快晴ですが、ほんの薄い雲が出ていて澄み切った青空ではありません。気温は26度くらいまであがり、夏の日が戻ったようです。

昨年の今日2007年4月18日(ジャムファクトリー Jam Factory

フェデレーションスクエアでは、オマーンフェスティバルを明日までやっています。

 オマーンは、アラビア半島の南東のはずれにあってアラビア海に面しています。
北側をアラブ首長国連邦、北西側をサウジアラビア、西側にイエメンに接しています。
主権は、国王にある絶対君主制の国です。首都は、マスカット、公用語はアラビア語、宗教はイスラム教

面積は31万平米(ビクトリア州は、24万平米)、人口は290万人(メルボルンは380万人)です。人口のうちオマーン人は180万人で、他はインド人、エジプト人などの出稼ぎ労働者です。
中東の要所、ホルムズ海峡は、オマーン湾からペルシャ湾に至る場所にあります。


 紀元前2世紀ころからアラブ人が牧畜、漁業などで定住。
7世紀ころイスラーム勢力下に入る。

1497年ポルトガルのバスコダガマがヨーロッパ人としては初めてアフリカ南端の喜望峰を通過して、オマーンへ到達。
バスコダガマは、ヨーロッパ―インド航路を確立しました。
これまでは、ヨーロッパ人は、アフリカ東海岸までしか到達できていません。
同じ1490年−1500年にかけてコロンブスは、西へ向かいアメリカ大陸を発見しています。
コロンブスは、アメリカ大陸をインドであると信じて、西インド諸島と名付けています。
インドの香辛料などの物資がヨーロッパで高価で取引されていました。

 バスコダガマがインド航路を確立した功績は大きく、いわゆる大航海時代が出現し、ポルトガルの海洋帝国が始まりました。
バスコダガマは、ポルトガルへ帰国後、侯爵に任じられています。
1524年、インド総督として赴任しましたが、ゴアでマラリアのため、無くなっています。
フランシスコザビエルがポルトガル領ゴアに到着するのは、1541年です。

1507年ポルトガルは、オマーンを征服して植民地とする。
1741年に現政権のブサイード王朝による支配が始まる。
1891年イギリスの保護国(植民地)となる。
1967年石油輸出を開始。
1971年イギリスより独立して国連に加盟。

オマーンの位置 Google Map

 オマーンの国旗と紋章

対日貿易(2006年)
日本の輸入 3,110億円
日本の輸出 2,010億円
輸出 原油、インゲン豆、天然ガス
輸入 自動車、家庭用電気器具
(2)原油対オマーン輸入量 6.35万B/D(依存度1.5%:2006年・石油統計速報)
日本からの直接投資 5件(26億円/2004年までの累積・2007年現在 財務省統計)
外務省ホームページ

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