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ロシア祭り

ロシア正教会 ロシアンオーソドックス

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2009年5月13日(水)
ロシア正教会 ロシアンオーソドックス
Russian Orthodox Church
ロシアフェスティバル Russia Festival
フェデレーションスクエア
Federation Square
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map (航空写真)

今日は、曇りで多少、雨がぱらつくメルボルンとなった。気温は15度がトップ。

昨年の今日 2008年5月13日(秋のブライトンビーチ

Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE シャッター速度1/1600秒  絞りF2.8 スポット測光 ISO感度 400 AWB  画質圧縮率 JPEG
レンズ EF70-200mm f/2.8L IS USM

撮影は、5月10日(日)

 ユダヤ系ロシア移民を除くと、多くのロシア移民は、ロシア正教教会(ロシアンオーソドックス Russian Orthodox Church)の信者だ。
ロシア正教は、ギリシャ正教、ルーマニア正教、ブルガリア正教、グルジア正教、日本ハリストス正教などと同じ東方正教教会の組織だ。それぞれが別の教会会派ではなく正教会という同じ教会会派が国によって名前が異なっているだけである。
キリスト教は、イエスキリストの使徒によって紀元1世紀頃にローマ帝国に広まって行った。4世紀にローマ帝国で公認されローマ帝国の国教として、ローマ帝国と共に発展した。395年にローマ帝国は、東西の2帝国に分裂し、西ローマ帝国は、476年に滅亡するが東ローマ帝国は、コンスタンチノーブル(現イスタンブール)を首都としてその後1000年あまりも継続した。

 東ローマ帝国の国教が即ち東方教会、正教会である。西ローマ帝国の国教は西方教会と言った。当時の両教会に教義の差は、無い。

東方教会は、現在でも、イスタンブールにあり、コンスタンディノーポリ全地総主教庁が総本山であり、総主教がトップである。現在の総主教は、第270代のヴァルソロメオス1世である。

ローマ帝国の原始キリスト教会において総主教は、ローマ、コンスタンディヌポリス、アンティオキア、エルサレム、アレクサンドリアのローマ帝国5大都市にに置かれていた。

 一方、西ローマ帝国が倒れた後、8世紀にカール大帝のフランク王国が強大になり、東ローマ帝国と張り合うようになっていた。そのバランスの中で、西方教会は東方教会から分離していき、ローマカトリック教会として教皇領を獲得して東方教会を凌ぐ勢力を獲得していった。

ローマカトリックと東方教会は、もともとは、ローマ帝国の中で、同じ原始キリスト教会であったがローマ帝国が東西に分離して崩壊していく過程の中で分離独立したものである。

 東方教会の特色のひとつは、復活祭イースターを年間の最大行事とする点だ。
キリストの使徒たちが作った原始教会に起源を持つ最も古い教会派であり、キリストの復活への大きな畏敬の念が表れている。カトリックは、ゲルマン人などの教化のために聖像を用いるなど世俗化しており、教義が、かなり変更されている。


本日の追加画像は、12枚。
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