シティ案内

今日の一枚へ

プリンセス橋鉄道駅 Princes Bridge railway station

メルボルン百景トップ

フェデレーションスクエア

乗り物の歴史

2018年10月4日(水)
プリンセス橋鉄道駅 
Princes Bridge railway station
フェデレーションスクエア
Federation Square
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

プリンセス橋鉄道駅は、エッピング線、ハーストブリッジ線の終点始発駅として1859年に建設された。駅名はすぐ隣のプリンセスブリッジ橋に由来する。隣のフリンダース駅とは当初は繋がっていなかったが数年後にスワンストン通りの下を通ってつながった。プリンセス橋鉄道駅は、その後、徐々により大きなフリンダース駅に合体された。

撮影データ Canon EOS 5DMarkU 絞り優先AE 評価測光 絞りF2.8 1/125秒 ISO感度 100 露出補正 -1/3 オート JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM 2018年1月14日18:58 板屋雅博 撮影

wikipedia  フェデレーションスクエア以前

 当初は、プリンセス橋という駅名で、メルボルン&近郊鉄道会社(Melbourne and Suburban Railway Company)のシティ始発駅として1859年にオープンしたパントロード駅(リッチモンド)までを結んでいた。更に1960年に開通したプラーン駅までを結んだ。現在のサンドリンガム線である。蒸気機関修理用の小さな建屋が会社によって駅の東端に建てられた。蒸気機関車車庫がその場所に1888年に建て替えられた。車庫は1817年に解体されてジョリモント車輌工場が建てられ、一部は電化近郊ネットワーク用途に使われた。ホブソンベイ社、メルボルン・セントキルダ・ブライトン鉄道会社が1865年に合併して、3つの路線は、同年10月に結合され、プリンセス橋駅は閉鎖された。新しくギップスランド鉄道がオープンした1879年4月2日に始発駅として再オープンした。

 シティ死体置き場がスワンストン通りの入り口部分に1890年まであったが、鉄道会社によって買収されて解体された。1901年にはプリンセスブリッジ駅からクリフトン駅までの路線がオープンした。この時まで北東部近郊からの列車は、フィッツロイからインナーシティサークルからスペンサーストリート駅まで行っていた。1910年にふたつの駅は結合した。プリンセスブリッジ橋駅側に3つのプラットフォーム、ひとつ(プラットフォーム1)は、フリンダース駅側の延長にあり、他のふたつは島状プラットフォームの場所にあった。15番線と16番線であった。15番線は行き止まりになって、一番北側の16番線には、1台の遷車台( traverser)があり、16番線と隣に並列する支線で蒸気機関車が方向転換するために使用された。島状プラットフォームの端への顧客のアクセス用に歩道橋があった。歩道橋の上には、フリンダース通りD信号機ボックスが配置されていた。

 ジョリモント側への主要線路の北東部分に蒸気機関車用の支線と燃料用石炭置き場があり、客車用支線が南東部分にあった。1957頃に支線は整理され、蒸気機関用設備と遷車台は取り除かれた。支線は現在は、ジョリモント鉄道ヤードの一部となっている。当初のプリンセス橋駅の駅舎は解体されて、プリンセスゲートタワービル(ガス燃料会社タワー Gas and Fuel towers)が建設され、同時に新しい複数の線路やプラットフォームも作られた。その場所にはプリンセスブリッジ駅の名前も保持されていたが、1980年にフリンダース駅の14番、15番、16番プラットフォームになった。1975年にはトラックは、14番、15番、16番に集約されていたが、1982年にシティループの一環としてシティサークルが建設されて更に集約された。

Gas and Fuel towers

  1981年12月6日から1993年8月23日まで、鉄道は、シティ・サークルと呼ばれて、プリンセス橋駅が始発駅となった。列車は、全駅を停車しながらシティループの中を周回して、プリンセス橋駅へ戻った。1994年中ごろには、周回路線は、シティーサークルトラムに引き継がれた。
1996年に州政府は、フェデレーションスクエアプロジェクトを発表した。ガス燃料会社タワーは、解体された。パイルの打ち込みと隔壁の建設は、1999年10月までに完成し、デッキ部分は1999年中ごろに完成し、建物の建設は、同年8月に始まった。駅のプラットフォームは、Moving Imageオーストラリアンセンターの一部になっている。

このページのトップへ

inserted by FC2 system