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観覧車 Giant Sky Wheel

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2007年5月17日(木)
観覧車 Giant Sky Wheel
ビララング マール Birrarung Marr公園
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

朝は多少、曇っている程度でしたが、昼前から雨が降り始めました。午後からは本格的な雨になり、一時は、雷も伴い激しい勢いで降りだしました。4時頃まで降った後で、夕方にはやみました。明日も雨の予報です。

昨日までの画像 

昨年の今日 2006年5月17日

現在、ビララング マール Birrarung Marrではこの観覧車が出現しています。
直ぐ北側には、鉄道の線路が複数走っています。その先にはメルボルンシティの東側のビル群があります。

フェデレーションスクエアからプリンセスウォークを通ってヤラ川の側へ降りてそのまま東へ200mほど行った場所がこのビララングマールです。2002年に出来たスペースですが、2006年の英連邦スポーツ大会の際に整備されました。最近では、フェデレーションスクエア、プリンセスウォークに次ぐ、お祭り広場として利用されています。
英国人がメルボルンに定住する前は、この辺りには原住民族アボリジニの一部族であるWurundjeri族が住んでいました。彼らの言葉である Woiwurrung語で Birrarung Marrとは川の土手を意味しています。

Giant Sky Wheel チケット売り場

1835年のメルボルンに英国人が定住した頃にはこの場所は湿地帯で、Wurundjeri族が住んでいました。
1850年代にメルボルンの植民地政府はこの場所に公園を計画していました。しかしこの場所には、既にいくつかの施設がありました。そのひとつがメルボルンでは始めての死体置き場があったのです。1951年のゴールドラッシュで移民が激増しました。3万人だった人口が3−4年で10倍の30万人に膨れ上がりました。宿泊設備、食料品、病院、医者、医薬品など全部が足りません。まだ抗生物質も発見されていない時代です。多くの移民が病気、事故で到着後、数年で亡くなりました。当時の英国政府は、埋葬前に検死を義務付けていました。当時は、ホテルが公民館の役割を担っていたため、どこのホテルも一階は死体であふれるというとんでもない事態に陥ったのです。その解消の為にここに死体置き場を作ったのです。

メルボルンにしては大きな観覧車です。それでもやはり移動式で、5月末で撤去されます。

1859年に、鉄道路線がメルボルンの南部や北部に伸びて線路が通るようになりました。
その後、この場所には州立スイミングセンターが1900年代後半までありました。1990年頃から、メルボルンの再開発が実施されました。まずフェデレーションスクエアが市民広場として創設されました。またヤラ川の周辺も公園として整備され、プリンセスウォークやプリンセス橋の周辺も整備されました。バットマンアベニュー(Batman Avenue)は、昔はスワンストン通りに接続していたのを大きく変更してエキジビジョン通り(Exhibition Street)に接続されました。
そうやって出来たスペースがビララング マールです。

カフェ (Coffee Shop)
メルボルンにたくさんある公園とまったく違う点は、中央部には芝生が無く、地面がむき出しである点です。また木々もヤラ川沿いと北側の土手を除いては多くはありません。それはこの場所に重機や仮の施設を設置することが出来るようにする為です。観覧車はまさにこの目的に合っている訳です。
メルボルンは、F1グランプリ全豪オープンテニスを始めとして、大型の国際スポーツイベントをたくさん招致しています。今年も国際水泳大会が行われました。ビララング マールは、こういう国際大会の為に多目的に利用を進められています。
ビララング マールの東側には、メルボルンパークや、MCGなど多くのスポーツ施設があります。フリンダース駅からスポーツ施設への徒歩で行ける道筋にもあたります。

北側の土手の上や、ヤラ川沿いにはメルボルンらしいモダンアートのモニュメントがいくつもあります。メルボルンではこれからもたくさんの国際イベントが開かれますが、その際にはこのビララング マールは更に大活躍することでしょう。

メルボルン市公式Web

空からの写真

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