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ニュージーランド フェスティバル

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2007年9月1日(土)
ニュージーランド フェスティバル
Newzealand Festival
プリンセスウォーク Prices Walk
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

今日から春のシーズンに入りましたが、陽光は既に初夏の様です。しかし朝晩の気温は、まだまだ10度以下であり油断禁物です。昼間はTシャツ、ノースリーブの人が増えてきました。

昨年の今日2007年9月1日(ポルタべラ)

 今日はニュージーランド(NZ)フェスティバルです。フェデレーションスクエアでは、各国の団体が主催でフェスティバルをやっていますが、さすがに冬の間は、行われませんでした。春のシーズンを祝ってトップバッターは、豪州の同盟国N01のNZです。
ニュージーランドは、1642年12月13日にオランダのアベルタスマンによって欧州人としては初めて発見されました。そのわずか3週間前には1642年11月24日には、タスマニアも発見しています。(オーシャンブルー参照)。アベルタスマンは、NZをStaten Landと名付けています。
ニュージーランドの測量図(豪州の夜明け参照

フェデレーションスクエアでは、NZのロックバンドで盛り上がってました。メルボルンにはNZ出身の市民がたくさんいます。

次に西欧人としてNZを調査したのは、キャプテンクックです。1769年10月6日のことです。

クック船長協会
豪州海洋博物館
ニュージーランドの発見(クック船長)
NSW州立図書館

ニュージーランドフェスティバル(フェデレーションスクエア)

www.ataawhai.org.au

 1800年代には、豪州にはタスマニアを含めて6つの植民地があり、それぞれが英国と直接的につながっており、豪州という国家意識はありませんでした。当時は、英国から見ればNZも含めて7つの植民地という考え方でした。従ってNZは、広い意味ではひとつのまとまりだったのです。NZが豪州にとって最強の同盟国であるのは、建国の歴史に理由があるのです。豪州オープン参照。また軍事的にも豪州とNZは、ANZACという強力な軍事同盟を持っています。ANZAC Day 4月25日参照
すなわち豪州とNZは、切っても切れぬ兄弟国なのです。元首は、豪州と同様にエリザベスU世女王です。(エンジェル参照

 もともとNZは、無人の島でした。
南太平洋のポリネシア系部族であるマオリ族は、ニュージーランドへ800年から1300年頃に住み着いています。 キャプテンクックの訪問の後、豪州に定住が始る1787年(オーストラリアデー参照)ころからは、西欧人がかなり定住を始めます。鯨漁の燃料食料補給基地としての意味もありました。1840年2月6日には英国とマオリ族との間で条約が締結され英国の植民地となりました。ビクトリア州よりは11年ほど早く成立しています。その後、2度に渡りマオリ族の反乱が発生しています。1893年には世界で始めて女性参政権を認めるなど西欧的先進性を持つ国です。


 しかし経済的には、完全に豪州の支配下に置かれています。NZは、市場としての規模が小さい為に、製造メーカーであれ、銀行であれ、全て豪州の企業に競争力で劣り勝てないからです。競争力がある唯一のものと云えるのが農産物魚介類ですが、これは豪州も同様に生産しており、豪州が保護貿易的なので、輸出が増えずに厳しい状況です。
メルボルンには多くのニュージーランダーが移民や出稼ぎに来ています。

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