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空手の練習(極真会) Banana Alley

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2007年2月28日(水) (今日の一枚へ戻る
空手の練習(極真会)
Banana Alley
フリンダース駅 Flinders Street Station
Melway 1A−G10
メルボルン Melbourne

今日でカレンダー上ではメルボルンの夏は終わりです。雲が多い一日でしたが、晴れ間もあり、また少し蒸し暑い天候です。こういう夕方は、川辺でのんびり過ごしたいものです。
会社帰りにサンドリッジ橋に通りかかるとちょうど、練習風景に会いました。

正面のサンドリッジ橋(Sandridge Bridge)は、豪州で最初の鉄道であるサンドリッジ線の歴史的な橋です。現在は、遊歩道に整備されました

 極真空手道場練習風景。
左側のレンガの建物がフリンダース駅の西の端の建物であるバナナアレーです。これこそがメルボルン駅の基本設計図が、インドボンベイ中央駅のものと間違って送られた証拠です。フリンダース駅は、1851年に始まったゴールドラッシュによって激増した主にヨーロッパからの移民に対処する為に、豪州で最初に作られた鉄道駅です。1953年9月12日に完成しています。当時、大英帝国は、豪州、NZ、カナダ、南ア、アイルランド、インド、シンガポール、マレーシア、香港など世界中に植民地を抱えており、ロンドンで集中してコントロールしていました。当時は、航空機(1903年発明)や電信(1844年発明)もない時代で、帆船しか輸送、通信手段がありませんでした。このような状態の中で起こったのが、この設計図の誤配送事件です。バナナアレーがある1番ホームは、現在でも世界で4番目に長いプラットフォームです。

バナナアレーの倉庫群。ヤラ川クルーズ会社や、フィットネスジム、極真会空手道場などが入っています。
このような長大な駅が1850年代の人口数十万人の植民地に必要な理由は、まったくありません。現在でもバナナアレーは、不必要なのです。ところが、ボンベイでは当時でも人口は、100万人が想定される大都会でした。更にバナナアレーの倉庫群は、もともとボンベイの街にたくさんあるストリートベンダー(Kioskなどの売店)を設置する予定だったのです。
帆船が英国からメルボルンにやってくるのに、3ヶ月かかります。間違いを発見してロンドンに連絡するのに更に3ヶ月かかります。インドにその点を連絡するのに更に3ヶ月と、間違いの確認と連絡だけで1年以上がかかります。当時の植民地支配の非効率性、官僚主義などを考えると、間違いを正すことは至難の業であったのです。結局、この間違いは正されることもなく今日に至っています。

 同様の混乱が、セントポール大寺院の建設でも起こっています。ロンドンの主任設計者が一度もメルボルンを訪問したことがないために、現場の実情と会わず、メルボル側が何度もロンドンに問い合わせを送りました。そのたびに半年以上も建設が滞り、結局、ロンドンの設計者は、更迭され、メルボルンの設計者Joseph Reed(ロイヤルエキジビジョンビルディングを設計)が後を次ぎました。ゴールドラッシュ後の新生ビクトリア植民地と大英帝国の植民地支配の混乱ふりがわかるエピソードです。

現在でもバナナアレーは、プラットフォームとしては、ほとんど利用価値がありません。スポーツジムなどにほそぼそと利用されています。

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