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オーモンド カレッジ Ormond College

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2007年10月24日(水)
オーモンド カレッジ Ormond College
メルボルン大学 University of Melbourne パークビル Parkville
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map (航空写真)

今日は久々に良い天気となりました。午前中までは気温も低く天気もいまひとつでしたが、午後には晴れてきて素晴らしいメルボルン晴れになりました。

昨年の今日2006年10月24日(クラウンカジノプロムナード)

カレッジロード(College Road)に面した正面入り口
オーモンドカレッジは、トリニティカレッジなどと共にメルボルン大学の内部の住居と教室を兼ねた学寮(カレッジ)のひとつです。メルボルン大学は、ビクトリア植民地が1851年に成立した2年後の1853年に設立されました。100エーカー(40万平米)が大学の敷地に与えられ、10エーカーがアングリカン、プレスビテリアン、メソジスト、ローマンカトリックに与えられました。残りの場所はスポーツ用です。そのうちアングリカン教会は、1872年にトリニティカレッジを設立しました。プレスビテリアン教会は、1877年にオーモンドカレッジの建設に取り掛かりました。基本設計は、グラスゴー大学(University of Glasgow)をベースとしています。当時のメルボルンの資産家Francis Ormondが資金の大半を提供したことからオーモンドカレッジの名前がついています。

 オーモンド カレッジ
建築:1881年
建築期:ビクトリアン
建築スタイル:ネオゴシック
設計:ジョセフリード Joseph Reed
多くの劣塔を持つ典型的なゴシック建築です。メルボルンの誇る天才建築家ジョセフリードの面目躍如の傑作です。ジョセフリードは、当時、世界一であったメルボルンの資金を背景に祖国英国のケンブリッジ、オックスフォードに負けない立派なカレッジを作ろうとした意欲が良く現れています。力強さとともに進取の気概を感じます。

 Macaughey Court
1881年にオーモンドカレッジはオープンしましたが、当時の学生数は20名でした。すぐに学生数が増加を始め、学生寮も拡大を続けました。1920年代、第一次大戦後、第二次大戦後と節目節目で学生数は増加を続けました。

ジョセフリードの作品
州立図書館 (1854)
メルボルンタウンホール(1869)
メルボルントレードホール(1873)
旧オーストラレイシア銀行(1876)
ロイヤルエキジビジョンビル (1879)
セントポール大聖堂 (1891)
A.C. Goode House (1892)

Picken Court (1961年)
現在、学生が住んでいる寮。窓が大きく取られており明るい学生寮です。4階立てです。104名の学生が住んでいます。

女子学生が入寮を許可されたのは、それほど古いことではありません。1961年から1974年までは、女子学生は寮内の作業をすることを条件に、即ちメイド学生としてのみ認められていました。それ以前は、外来客としてしか入ることを許されていません。1974年になって普通学生として入寮を認められています。男女同権が当たり前である現在の豪州ですが、実はつい30年ほどまでは、メルボルン大学でさえ平等ではなかったことは興味深いことです。

Maclean House
この向こう側は、St Hildas College
オーモンドカレッジ全体が森の中にあり、学生数も少ないために、中世の世界に入ったような錯覚に陥ります。

オーモンドカレッジ公式Web

Residential Colleges メル大

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